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戦時下での早期実現は不可能

1941(昭和16)年9月、正式に東京横浜電鉄より地方鉄道敷設免許申請が行われ、これを受けて鉄道省をはじめ神奈川県庁や横浜市では、種々の検討を重ねた。その調査書には「無難な企画路線ではあるが、時局下、資材調達は相当困難が見込まれるため、工事施工認可期間を先延ばし、地元横浜市の意見を聞き入れたうえで免許を下付する」と記されていた。いうなれば「一時保留」である。この文書には、資材に関することは記されていたものの、“線路用地の取得状況”に関しては、何も書かれていなかった。

そして、東横線と湘南線(京浜線との合併前)の連絡を図るのであれば、むしろ東横線の横浜駅と京浜線の平沼駅(かつて京急本線の横浜駅~戸部駅間にあった駅/1931〔昭和6〕年開業~1944〔昭和19〕年廃止)間に連絡線を建設したほうが、建設費、建設資材の量は半分以下で足りるとの見解が示され、さらなる検討が必要との意見も出されていた。総評としては、「戦時という情勢下における早期実現は不可能」といった意見が多勢を占めていた。

東京横浜電鉄から1941(昭和16)年9月に地方鉄道敷設免許申請が提出されたときの鉄道省文書=資料/国立公文書館蔵
地方鉄道敷設免許申請に対し、神奈川県庁から出された回答文書=資料/国立公文書館蔵
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新駅設置の要望と建設計画の断念
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工藤直通
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