未成線跡をたどる
JRと横浜市営地下鉄が乗り入れる桜木町駅と、京急電鉄の日ノ出町駅を結んだ中間地点に位置する横浜の歓楽街のひとつである「野毛町」。まさにここを通る予定だったのが、未成に終わってしまった連絡線なのだ。その存在を知りつつ、何度となく夜の街に繰り出したことがあったものの、ここが未成線跡地だと意識して歩いたことはなかった。鉄分より酒分が勝ってしまったというわけだ。
未成線を追い求めて、さすがに日が暮れてからというわけにはいかないので、明るい時間帯に「花咲町・野毛町・宮川町・日ノ出町」を散策することにした。スタートは桜木町駅から歩を進めた。思えば、東横線の桜木町駅が廃止されたのが、22年前の2004(平成16)年のことなのだが、つい最近の出来事のように思えてならない。駅前は当然、再開発などで未成線の跡などあるわけもなく、駅前を通る国道16号線を渡り、ペデストリアンデッキを通って新横浜通りを越えて花咲町へと向かった。
連絡線の計画線形は、地図上でも確認しやすく、線路敷(路盤)として見込んでいたであろう用地は、現地でもすぐにわかるような地形をしていた。当時の文書には、鉄道用地の取得有無に関しては触れられておらず、用地確保が済んでいたのかまではわからない。ただ、線路予定地だろうと想像できる土地を挟むように、左右には道路が造られており、ここが高架線用地だったのではないかと、頭のなかにパース画を描くことができた。

花咲町から野毛1丁目へと線路計画線上に沿って進むと、懐かしい昭和の雰囲気ただようパン屋さんがあった。小腹もすいたので、ふらっと立ち寄りクリームパンとクロワッサンを購入した。お店の人に「鉄道計画」のことを伺うと、「目の前の道路が線路予定地だ」と教えてくれた。しかし、この計画は高架線だったことを考えると、その道幅では狭かろうと思われ、やはり裏手にある道路との間に挟まれたこの場所(土地)が、線路予定地なのではないかと、ひとり想像をふくらませた。
さらに日ノ出町駅方向へ進むと、道路に挟まれた線路計画地と想像される場所も、用地幅を保ったまま続いていた。ここまで整然と用地が連なっていると、もはや疑う余地はないのではないかと思ってしまった。一瞬、鉄道高架橋と見間違うような外観をした建物が視界に入る。いまにもこの上を電車が走ってきそうな雰囲気で、もし連絡線が完成していたのなら、こんな感じの景観だったのかなと見入ってしまった。
そうこうしているうちに、連絡線計画線上にある土地も大岡川に沿いに出た。ここから先は日ノ出町駅方向へとは進まず、大岡川に沿ってそのまま道なりに京急本線との合流地点へと進む。現在の日ノ出町駅とこの合流地点とは、少し離れた位置関係にあるが、当時、どのような形で両線の駅を造る計画だったのか、今となっては知るすべもない。
わずか800mという連絡線は、戦後その建設計画が再燃することはなかった。

文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会特派写真記者。1970年、東京都生まれ。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物に関連した取材を重ねる。交通史、鉄道技術、歴史的建造物に造詣が深い。元・日本鉄道電気技術協会技術主幹、芝浦工業大学公開講座外部講師、日本写真家協会正会員、NPS会員、鉄道友の会会員。














