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旧駅舎と都電が走っていたころ

1909(明治42)年12月に開業した新橋駅の前身となる烏森駅は、開業時は「仮駅舎」で開業した経緯がある。その後、1914(大正3)年3月になると、ルネサンス様式の立派なレンガ造りの駅舎が建設されたが、この駅舎も現存しない。そして、開業時は烏森駅を名乗っていたが、その後、2代目・新橋駅を名乗るようになったのは、レンガ駅舎ができた年の12月のことだった。この駅舎は、1923(大正12)年の関東大震災で駅舎の内部が焼失する被害を受けたものの、56年にわたり街のシンボルとして君臨し続けた。

戦後25年を経た1970(昭和45)年になると、東海道線と高架線路を共用していた横須賀線は、地下を走ることになった。その地下駅の建設に伴い大正以来のレンガ駅舎は、工事過程で支障することになり、撤去・解体されてしまった。建て替えられた駅舎は、汐留口に面した旧駅舎とほぼ同じ位置に、レンガを模したデザインで建設され、今もって現役だ。

新橋駅の傍らには、今から59年前となる1967(昭和42)年まで、路面電車=都電が走っていた。その都電の停留所は、国鉄新橋駅を囲むように「新橋駅前」、「新橋」、「新橋駅北口」と3つもあった。そこには都電1系統(品川駅前~上野駅前)と4系統(五反田駅前~銀座2丁目)、6系統(渋谷駅前~新橋〔汐留〕)などが走っていた。

サラリーマンの聖地と呼ばれる新橋。この地が、日本史の1ページを刻んだ「鉄道起源地」であるということなど、駅前広場に展示されるSLを見ても気にもかけない人が大多数であろう。当然である。しかしながら、新橋こそ”鉄道の聖地”である、と思うのは、鉄分過多ゆえの戯言なのであろうか。

大正3年に建設されたルネサンス様式の新橋駅レンガ駅舎=1958年3月3日、港区芝新橋、撮影/沢柳健一
レンガ駅舎の跡に建てられた国鉄(→現JR)新橋駅の駅舎=2026年9月2日、港区新橋
1937(昭和12)年当時の新橋駅周辺を示した地図。レンガ駅舎や都電(路面電車)の停留所が記されている=芝区詳細図より
第一京浜・中央通り(国道15号)と外堀通り(都道405号)が交わる交差点にあった都電の新橋停留場。4系統の新橋銀座行きと五反田駅行きが写る=1967年12月7日、港区新橋、撮影/沢柳健一
一つ前の写真と同じ場所で撮影した現況写真。すっかり背景も変わり、指標となるのは東京高速道路(通称KK線)の高架橋くらいだ=2026年9月3日、港区新橋
この写真は、トップ画像と同じもの。新橋駅に近い外堀通り(都道405号線)をゆく路面電車「都電〔6系統〕渋谷駅行き」。後方の高架線を走るのは東海道新幹線〔0系電車〕=1967年1月27日、港区新橋、撮影/沢柳健一
ひとつ前の写真とほぼ同じ位置で撮影した現況写真。周囲を見回すと一つだけ当時の建物が残っていた=2026年9月2日、港区新橋
昭和51年の横須賀線・新橋地下駅開業を祝う装飾看板。これと同時に「しんちか名店街」もオープンした=1976年10月1日、撮影/豊永泰太郎
装飾看板があったあたりは現在、タクシープールになっている。後方の新橋駅前ビル1号館は当時と変わらぬ姿のままだ=2026年9月2日、港区新橋
新橋駅前ビル2号館の脇にある「しんちか名店街」や新橋地下駅に通じる地下連絡口。まるで昭和へタイムスリップする入口のようだ=2026年9月2日、港区新橋
昭和の時代で時が止まっている地下連絡口に設置されている案内板。「国鉄(→現JR)」、「営団(→現・東京メトロ)」の文字が昭和感をそそる=2026年9月2日、港区新橋
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文・写真/工藤直通

くどう・なおみち。日本地方新聞協会特派写真記者。1970年、東京都生まれ。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物に関連した取材を重ねる。交通史、鉄道技術、歴史的建造物に造詣が深い。元・日本鉄道電気技術協会技術主幹、芝浦工業大学公開講座外部講師、日本写真家協会正会員、NPS会員、鉄道友の会会員。

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