今回の「バスグルメ」では東京の武蔵野を回ります。まぁ正式にどこからどこまでが「武蔵野」なのか、はよく知らないのですが。東京23区より西で、山よりちょっと手前であればそう呼称しても別に構わないでしょう。
「武蔵国分寺跡」へ 武蔵国の中心地
確かに普段、自宅から東側に当たる都心部にはしょっちゅう行くけど、逆側に足を向けることはそうない。この機会にぜひ、まだ行ってないところに足を延ばしてみるのもいいんじゃないかなと思った次第。あっちの方のバスにもあまり乗らないし、ね。
てなわけでこのテーマで最初に行くのは、「武蔵国分寺跡」(国分寺市)です。
奈良時代、聖武天皇の詔により当時の日本の各国に国分寺が建立された。武蔵国においてはここがそうだったわけです。府中市の大國魂(おおくにたま)神社の近くにあった武蔵国府と共に、ここが武蔵国の中心地だった。
大國魂神社には行ったことがあるけど、国分寺跡は実はまだ行ってなかった。今回のテーマの冒頭には、まさにふさわしい訪問地と言えるでしょう。
そんなわけでやって来ました、JR中央線の国分寺駅。実はここから歩けないこともない距離らしいけど、それでは「バスグルメ」にはならない。
調べてみると、国分寺市が運行するコミュニティバス「ぶんバス」の「万葉・けやきルート」がまさに「史跡武蔵国分寺跡」まで行くみたい。これはもう、「乗れ」と言われているに久しいですな。
国分寺駅の南口を出てちょっと西側、その名も「国分寺駅西」バス停で待っていると、見た目にも可愛らしい小型バスがやって来た。バスは駅前の路地をぐねぐね曲がり、駅の南側を東西に走る都道145号線「多喜窪通り」を西に走り始めた。
途中、かなり急な坂を下り、また上るけれど、これは野川(のがわ、小金井市や三鷹市などを経て世田谷区で多摩川に合流)の削った谷。このすぐ北に湧水があり、そこが野川の源流部らしいんだけど、日立製作所中央研究所の敷地内にあって、年に2回の公開日以外入ることができない。いいじゃないねぇ、普段から入れてくれたって。川の源流という自然の宝を、独り占めするのはよくないと思いますぞよ。
コミュニティバスの「宿命」に身をゆだねる楽しさ
閑話休題。
国分寺跡はこの「多喜窪通り」が「府中街道」とぶつかったところを左折すれば行けるらしいんだけど、バスはそうまっすぐは走ってくれない。都立武蔵国分寺公園の南東口のところで、右折。敷地をぐるりと回り込んで、西国分寺駅の前を通ります。さすがは自治体が住民の足として運行するコミュニティバス。人の行き交う拠点を細かくつなぐから、ぐねぐね曲がるのは宿命のようなもの。私としては乗ってて、楽しくてしょうがない。
結局、「多喜窪通り」に戻って「府中街道」を左折し、更に左折して住宅街の中を進んだところで、終点になりました。民家の間に畑の点在する中、ぽっかり空いた折り返し所でバスを降りました。
そこから北へちょっと行くと「武蔵国分寺僧寺」(府中街道とJR武蔵野線の向こう側には、ここと対になる「武蔵国分寺尼寺」があった)南門跡。逆にこれを南に行くと、大國魂神社近くの「国府跡」に行き着くわけですね。両者をつなぐ重要な参道だった。
尼寺の方はもう発掘が終わり、公園として整備されているんだけど、こっちは未だ発掘途中。「金堂」や「講堂」の基壇は復元されているけど、まだまだ整備はこれから、という段階のようです。なので今はだだっ広い敷地に説明板が点在するばかりで、地元民が犬を散歩させたり子供を遊ばせたり。史跡というよりは市民の憩いの場という感じですね。
史跡跡をぐるりと歩き回った後、北側の坂を登ります。武蔵国分寺跡は国分寺崖線と呼ばれる崖の連なりの下に位置し、ここを上がるとまた面白いものがあるんですよ。