湧き水が豊富
「東山道武蔵路跡」。奈良時代、平城京を中心に全国に延伸された官道の一つ東山道(とうさんどう)は、近江国から本州内陸部を縦断して陸奥国に向かっていた。途中、上野国(群馬県の辺り)から大きく曲がってここを通っていた(後に支道となる)んですな。
武蔵国って東海道だったんじゃないの? と思うかも知れないが、昔の江戸って、それはそれは広い湿地帯で、大規模な道を通せなかった。だから昔の東海道は、江戸湾を渡って房総半島を通っており、内陸の武蔵国府には東山道の方から道が引かれたんです。
現在、「ここが道の跡」という遺構が残されてるんだけど、こんな広い幅の道をあの時代に造ったのか、と思うと感動するしかない。
さて崖の下に戻ります。新田義貞と鎌倉幕府の戦い(1333年)によって焼失した国分寺は、再建され現在に至りますが、その楼門脇の小道は遊歩道になっていて、隣を水が流れている。この辺りは本当に湧き水が豊富で、崖線に沿ってあちこちで泉が湧いている。多くの人が詰める公的施設だったから、水は何より重要。この地に国分寺が建てられた理由も、これを見れば納得、ですね。
さて遊歩道から離れてちょっと南へ歩くと、七重塔跡がある。残されているのは土台だけだけど、これまた凄い規模ですな。建立にどれだけの労力が費やされたか、大和朝廷の強い意志をここからも感じ取れます。
「昭和の未解決事件」の現場 1968年12月10日発生
ただここ、史跡ということともう一つ、大きな意味もあるんですよ。実は「昭和の未解決事件」三億円事件の重要な舞台でもあるんです。盗まれた現金輸送車は、この近くに乗り捨てられていたらしいんですね。
若い人は詳しくないかも知れないから説明すると、事件発生は1968年12月10日。東芝府中工場の社員のボーナス約3億円を積んだ現金輸送車が走っていると、後ろから白バイが追い掛けて来た。「この車にダイナマイトが仕掛けてある可能性がある」という。運転手たちが慌てて車を降り、警官が調べていたところ白煙が発生。運転手たちが更に車から離れた隙を見計らって、警官は輸送車に乗り込み、発進させた。彼はニセ警官で、白バイも白塗りして似せたオートバイ、煙は発煙筒によるもの。誰一人、傷付けることなくまんまと現金強奪に成功したわけですね。1975年12月10日、公訴時効成立。
せっかくなんでその事件現場まで歩いてみましょう。
強奪の現場は府中刑務所の北側を走る道で、高く長い塀が延々と続き、人目につきにくい。なるほどこれなら犯行にも打ってつけの場所だなぁ、と現地に行ってみると納得する。
道を渡る歩道橋には、塀の中を覗かれないための目隠しが設けてありました。刑務所脇、という特殊事情がこんなところからも垣間見えますね。向こうの方には東芝府中のシンボル、エレベーター試験塔が見えました。現金輸送車はまさに、あそこにボーナスを運ぶ途中、襲われたわけです。