敬老の日、あちこちで親子と孫たちのふれあいがある。子育てを振り返り、孫への慈しみのときはかけがえのないもの。天皇家にあっても、美智子さまはお子さまやお孫さま方をあたたかいまなざしで見つめてこられた。そのご様子を振り返ってみたい。かつてお若かったころ、美智子さまが忙しい公務をこなしながら欠かさず続けてこられたのが、お子様たちのお弁当作りだった。今回は、お孫さま方とのふれあいとマイキッチンで作られる美智子さまのお弁当の物語である。
家族に手料理をふるまう喜び
天皇家の食事は大膳(だいぜん)という皇族方の調理係の仕事である。しかし、「あたたかいホーム」をつくりたいと願われていた美智子さまは、お住まいに小さなキッチンを設け、ご自分でも料理をされるようになった。
ご結婚されて6年目の秋のこと。美智子さまが、かつて料理を習われていた石黒勝代さんに出した手紙には、こうしたためられている。当時、石黒勝代さんは、長い海外生活で身に付けた西洋料理のレパートリーを家庭向けに伝える第一人者であった。
「……お料理は、むつかしくても、ほんとうに楽しいものですね。一人で調理場の中をバタバタを歩きまわり、天火をあけたり冷蔵庫をのぞいたり、最後の仕上げに時間がかかりそうなときなど、不安で胸がいっぱいになり、もう次から大膳に頼んでしまおうかと、いつものようにきまってそう考えますのに、お客さまに喜んで頂き、東宮さま(現・上皇陛下)にほめて頂くと、また吸いよせられるように、お台所に入ってしまう自分が、おかしくなってしまいます……」
ちょうど浩宮さまが5歳のころのことである。この手紙からは、楽しそうなマイホームの雰囲気が感じられる。
学校に通うお子さま方に、毎日お弁当を作られる
忙しい毎日のなかで、美智子さまが欠かさず続けられたことの一つに、お子さまがたのお弁当作りがあった。学習院初等科の6年間を除き、幼稚園と中・高校の8年間、3人のお子さまのお弁当を、よほどのことがない限り毎日作り続けたという。
紀宮さま(現・黒田清子さん)がお小さかったころには、兄宮さま方のお弁当をうらやましがったこともあった。そんなとき、美智子さまは小さなお弁当箱に兄宮さま方と同じものをお詰めになって、朝食のテーブルにお出しになったこともあった。
胸を張ってお弁当を持っていく兄たちと、すねる小さな妹をなだめる母。一般でも、きょうだいがいる家庭ではしばしばみられる光景だろう。
美智子さまのお弁当は、心を込めて工夫された彩よいお弁当だった。とりわけお子さま方に好評だったのは、「三色そぼろ弁当」。鶏のそぼろ、いり卵やいんげん、シイタケを味付け、ご飯の上に乗せて紅しょうがを添えたお弁当は、蓋を開けたときの歓声が聞こえるようである。当時のインフルエンサーであった美智子さまの手料理は、一般の家庭にもあこがれのお弁当として広まっていった。