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今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。

夏坂健の読むゴルフ その44 ライオンと「金メダル」

7種目でカナダ代表だった男が最後に出会ったスポーツ

駄目な奴は、何をやらせても駄目。反対に、出来る奴は何をやらせても出来る。

ゴルフの世界でも、たとえば1904年の全英女子選手権に優勝したシャーロット・ドッドの場合、ウィンブルドンのテニスで5回優勝したほか、ホッケーのイギリス代表2回、アーチェリーでは1908年のオリンピックで銀メダル獲得、ビリヤードでも女子世界記録保持者、さらにヒマラヤ登山隊の優秀なメンバーだった。

1895年の全英アマ覇者、レスリー・バルフォア・メルビルといえば、強風の日ほどスコアが良くなる不思議な選手として知られたが、同時にラグビーとクリケットのスコットランド代表であり、走り幅跳び、テニス、ビリヤードでも国内チャンピオンだった。

全米、全英の両女子アマに勝ってプロに転向、全米女子オープンに3回優勝したほか、ツアー30勝の伝説的飛ばし屋、べーブ・ザハリアスの場合、1932年のロサンゼルス・オリンピックで2個の金メダルを獲得している。槍投げと80メートルハードルによるものだが、いずれも世界新記録だった。さらに走り幅跳びでも銀メダルに輝いた。

ほかにも多芸派が目白押し。たとえばスウェーデンのスヴェン・ツンバ選手はアイスホッケーとサッカーの代表であり、ライフル射撃の欧州選手権に優勝した2ヵ月後、同国のアマゴルフ選手権も制した。

また、1948年にウィンブルドンのセンターコートを制したボブ・フォルッケンバーグの場合、ゴルフのブラジル・アマ選手権に優勝すること3回、オランダとドイツでもそれぞれ2度優勝している。ドイツでは、商用のついでに出場してナショナル大会に勝つという快挙だった。ほかにも枚挙にいとまなし、一芸に秀でる者、ゴルフぐらいで慌てないの感がある。

さて、この男の運動能力もまた特筆すべきものだった。クリケット、テニス、バスケットボール、フットボール、氷上のビリヤードとも呼ばれるカーリング、アイスホッケー、ボートの7種目でカナダの代表選手をつとめる傍ら、毛皮と食品の会社でも成功した財界の実力者、ジョージ・ライオンの素顔について、1904年の「トロント・サンデーワールド」は次のように伝えている。

「身長180センチ、胸板の厚い温厚な紳士。6ヵ国語を自在に操り、ウィットに富む会話には誰もが魅了された。毎朝1時間のランニングを日課としたが、それはマラソンと異なり、全力疾走と呼ぶべきハードトレーニングだった」

ライオンは、文武両道の達人だったと考えられる。信じられないことに、彼は38歳までゴルフのクラブに触れる機会がなかった。というのも、ようやくトロントに7ホールだけのコースが誕生したばかり。モントリオールに2番目のコースが完成して、そこで初めてゴルフと遭遇した彼は、たちまち汲めども尽きぬ魔力のゲームにのめり込んでいく。

それから2年後、初出場のカナダ・アマ選手権でいきなり優勝すると、以後通算8回優勝、カナダ・オープンのベストアマに輝くこと5回、名誉あるエドワード・カップでは12連勝の偉業を達成するが、最後に勝ったのが55歳のとき。当時としては珍しいドライビング・アイアンを手に、「ライフルより正確に旗竿を狙った」と伝えられる。

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ゴルフを始めて8年、46歳で五輪出場...
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おとなの週末Web編集部 今井
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