今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第45回目に取り上げるのは2002年に登場した三菱コルトだ。
三菱がダイムラークライスラー傘下入り
三菱自動車(以下三菱)とダイムラークライスラーは2000年3月27日に資本提携を正式に発表した。この提携はダイムラークライスラーが三菱の34%の株式(当時のレートで約2250億円)を取得。三菱が傘下になったことで、当時では売上高、販売台数でトヨタを抜いて世界第3位となるビッググループが誕生。
ダイムラークライスラーが三菱に目を付けたのは、アジア市場での強さだ。ダイムラークライスラーのアジア市場でのシェアが数%なのに対し、三菱は26%(1999年)と圧倒的な強さを誇っていた。一方三菱は、提携により欧州でのシェア増大を目論んでいた。ただ2004年に二度目のリコール隠しが発覚し、ダイムラークライスラーは三菱との提携を解消。
世紀末に大激震が走る
ダイムラークライスラーと三菱は提携後に『Zカー構想』を立ち上げた。Zカーとは世界戦略コンパクトカーのことで、プラットフォームを共用して高効率化を狙った。これによって誕生したのが三菱コルトなのだ。この共用プラットフォームを使ったモデルには、スマートフォーフォーがある。
ダイムラークライスラーとの提携により新章に突入した三菱に暗雲が……。三菱関係者にとってもはや思い出したくもないことだと思うが、コルトを紹介するにあたりその背景として触れざるを得ない。『リコール隠し』だ。
詳細は割愛するが、ブランニューのコンパクトカー、コルトがクルマの出来のわりに販売面で大きな成功を残せなかった要因となったのは間違いない。
コンパクトカーの新潮流
コルトはリコール隠しの余波の残る2002年11月にデビューを飾った。1999年に登場したトヨタヴィッツ以来、コンパクトカーの需要は高まり、2001年ホンダフィットの登場が決定打となった。コンパクトカーが売れに売れたのだ。そしてかつて全盛を誇ったリッターカー(1Lエンジンを搭載)ではなく、主流は1.3~1.5Lとなっていた。
当時三菱はこのクラスのコンパクトカーとしてミラージュディンゴをラインナップしていたが、奇抜なフロントマスクが災いして販売面で苦戦。いったん定着した不人気車のイメージは普通の顔に戻しても払拭払できずにいた。新生コルトは、ブランニューモデルではあるが、実質的にはミラージュディンゴの後継モデルとなる。