今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第68回目に取り上げるのは1985年にデビューした初代ホンダレジェンドだ。
“世紀の提携”は実現せず
2024年12月にホンダ、日産、三菱は三社での戦略的パートナーシップ検討の覚書を締結した。これはホンダと日産が共同持ち株会社設立による経営統合に向けた検討に対し、三菱が参画・関与するというもの。
しかし既報のとおり舌の根も乾かぬ2025年2月にホンダ、日産は経営統合に向けた協議・検討の開始に関する基本合意書を解約。それに伴い、三菱を含めた三社間における覚書も解約となった。日産を吸収して子会社化するというホンダの提案を日産が拒否したことが破談の要因と伝えられている。両社の交渉決裂理由はどうであれ、これによりホンダと日産の”世紀の統合”は破談となったわけだ。
ホンダの提携下手!?
経営統合、グループ化が顕著な世界のクルマ界にあって、ホンダはこれまで基本的にピンでやってきた稀有な自動車メーカーだ。この独自路線は創業者の本田宗一郎氏の理念でもある。だから、日産との経営統合の動きは衝撃的だったが、結末はさらに衝撃的だった。
そのホンダも時代の流れには逆らえず21世紀に入ってからは、提携先を模索。近いところではアメリカのゼネラルモータース(GM)と提携。ホンダとGMの技術提携は燃料電池車(FCEV)、BEV、バッテリー、自動運転技術など多岐にわたるが、2025年7月現在では燃料電池車の共同開発を除き解消となっている。
そのほかホンダの提携関連の話題では異業種コラボ、ソニーとの合弁会社『ソニー・ホンダモビリティ』の設立もある。第1弾BEVのアフィーラが2026年12月に発表(デリバリーは2026年)されると噂されていてその動向が注目されている。まぁ、注目といってもどちらかといえば、「いつソニーがやめると言い出すか?」など、ネガティブな見方が多いが……。
イギリスのBLとの提携が大きな転機
ホンダの提携話をしてきたが、それは今回紹介する初代レジェンドは提携が大きなカギを握っていたからだ。
前述のとおり、宗一郎イズムでもある独自路線で突っ走っていたホンダだが、1979年にイギリスのブリティッシュレイランド(以下BL)と提携。BLは後にオースティンローバー→ローバーと社名を変更するのだが、1970年代にBLは品質の低下などにより経営難となり半国営化していた。そのBLの民営化を選挙の公約のひとつに挙げていたイギリスのサッチャー首相は代理人を通して日本の自動車メーカーにローバーとの提携を打診してきたという。
ホンダ以外の日本の自動車メーカーが手を引くなか、欧州に生産拠点を持っていなかったホンダはこれをチャンスと見てBLと提携することを決定。この時は技術提携のみで、資本提携を結んだのは1990年だ。
提携して2年後の1981年にホンダの初代バラードがトライアンフアクレイムとして欧州でライセンス生産を開始し、欧州各国で販売され成功を収めた。