FFのネガを潰していた
初代レジェンドはホンダ初の高級車として登場したが、走りの評価はどうだったのか? FFの高級車はあり得ない、と言われていた最大の要因は、駆動輪と総舵輪が同じFFでは、駆動力がステアリングに干渉してフィーリングがよくないこと、ステアリングを切っていないのにクルマが勝手に曲がろうとするトルクステアが出やすいなどある。
しかし初代レジェンドは、トルクステアは等長ドライブシャフトの採用により解消するなど当時のFFとしては素晴らしい出来だったようだ(実際に体感していないため)。
フロント/ダブルウィッシュボーン、リア/ストラットのサスはロードホールディング性にも優れていて快適なコーナリングのスタビリティと乗り心地と両立していたと高評価。
初代レジェンドは最先端装備満載
初代レジェンドの装備面でのトピックは、日本車初のエアバッグの装着だろう。今では当たり前のエアバッグを採用したのは画期的だった。さらには82年の2代目プレリュードで初搭載したA.L.B.も用意。ALBとはホンダの商標で、ブレーキのロックを防止するABS(アンチロック・ブレーキ・システム)と同じ。このA.L.Bは1987年に初代レジェンドでさらに進化して、日本車で初めて4輪に採用。
車速感応式パワーステアリング、プリテンショナー付きシートベルトなどの最先端装備が充実していた。
さらにマイチェン後のモデル(1988年以降)では、FF車初となるトラクションコントロールも採用されるなど、初代レジェンドは初物のデパート状態だった。
販売面では苦戦
初代レジェンドに対し鼻息が荒いまでに高級車をアピールしたホンダ。それはホンダ初の高級車だったことに加え、北米で展開するホンダの上級ブランドのアキュラの専用モデルでもあったからだ。アキュラはレクサス、インフィニティよりも4年も早い1986年に立ち上げ、レジェンドとインテグラの販売を開始。
ホンダブランドの知名度、信頼性の高さから北米での販売は好調に推移していたが、日本では成功したとは言えないしょっぱい結果となってしまった。
初代レジェンドは1987年に流麗なボディラインのパーソナルクーペであるレジェンドクーペを追加(このレジェンドクーペについては別の機会に紹介したい)。初代レジェンドは1990年まで販売されたが、セダンとクーペを合わせて約4万7000台を販売。約5年だから1年平均9000台強ということで大失敗というわけではない。
しかし、ライバルの台数を見ると腰が抜けるほど強烈なのだ。
ライバルとしていたマークII三兄弟(X70系)の販売台数は、1984年8月~1988年7月の4年間合計で約115万台(セダンも含む)。月間平均約2万4000台ということはレジェンドの累計台数を2カ月でクリア。さらに一番売れた1987年3月の販売台数はマークIIが2万5514台、チェイサーが1万11556台、クレスタが7523台の三兄弟の合計で4万4593台、つまり1カ月で初代レジェンドの累計に匹敵するのだ。
マークII三兄弟の売れっぷりが異常すぎるともいえるが、恐ろしい時代だった。