北海道の南部に位置し、函館湾に面した上磯(現・北斗市)の地は、セメントとのかかわりが強い。古くは1884(明治17)年に上磯セメント会社によりセメント製造が開始され、現在も太平洋セメント上磯工場として操業を続けている。その街には、通称“トロッコ道”と呼ばれる道路があり、これは山から採取した鉱石を工場まで運んだトロッコ(馬車軌道)が通っていたことに由来する。以来、85年もの間、鉱石輸送を担ってきた専用鉄道だが、移りゆく時代とともにその輸送手段は「ベルトコンベアやトラック輸送」へと転換され、1989(平成元)年に廃線となった。東日本最大の石灰石鉱山を結んでいた日本セメント上磯工場専用鉄道の歴史に思いを馳せてみたい。
※トップ画像は、日本セメント上磯工場専用鉄道の峩朗本線をゆく鉱石を積んだ貨物列車。南部坂駅に位置する南部坂変電所前で=1986年8月、北海道上磯町(現・北斗市)添山、撮影/服部朗宏
はじまりは馬車軌道
北海道上磯村(現・北斗市)とセメントの歴史は、地元の有力者による当時の建築技術の最先端といわれたセメント工場を創設した1884(明治17)年の上磯セメント会社にはじまる。当時は、セメントが日本国内に普及する前のことであり、1890(明治23)年には経営不振により北海道セメント株式会社へと経営権を譲った。その翌年には鉱山開発に着手し、1892(明治25)年に馬車によるセメント工場への原料供給を開始した。
専用鉄道のルーツとなる馬車軌道は、その12年後となる1904(明治37)年に工場と峨朗(のちに峩朗へと改字)採掘場との間ではじまった。北海道セメントとして最初に開設した路線は、上磯にあるセメント工場と鉄道省(のちの国鉄)上磯駅との間を結ぶ、わずか500mの軌道線だった。これは、1913(大正2)年9月に敷設免許を取得したことにはじまり、この専用軌道が運輸開始したのは1915(大正4)年2月19日のことで、石灰石輪西製錬所(現・北海道室蘭市)へ発送する“売石”を積んだ貨車の入換を、蒸気機関車により行っていた。
時を同じくして1915(大正4)年8月には、北海道セメントは浅野セメントへと譲渡され、上磯工場は浅野セメント北海道工場と名を変えた。1921(大正10)年になると、工場と峩朗採掘場との間を運行していた馬車軌道は、ガソリン機関車と蒸気機関車による全長6.5kmの“専用軌道”へと生まれ変わった。その翌年からは、電化により電気機関車による動力併用が開始された。
こうした大正時代までの動きを知る上で重要となる鉄道省など監督官庁あてに提出された許認可関係書類(公文書)のうち、国立公文書館に収蔵される1923(大正12)年以前のものは「焼失」しており、その詳細を明らかにできない事柄も多い。












