昭和が終わりを告げてから、早いもので38年が経過した。そんな風に感じてしまうのは、半世紀を生きた世代だけであろうか。かつて新橋駅近くを走っていた路面電車(都電6系統など)が姿を消して、すでに59年。新橋駅に寄り添うようにあった貨物専用駅「汐留駅」も、再開発によって高層ビル群へと姿を変えた。大正時代、駅周辺の町名は烏森町〔からすもりちょう〕、愛宕下町〔あたごしたちょう〕、源助町〔げんすけちょう〕、芝口町〔しばぐちちょう〕、日蔭町〔ひかげちょう〕と呼ばれていたことを知る人も少ないだろう。そんなサラリーマンの聖地「新橋」の今昔を、写真とともに垣間見ることにしよう。
※トップ画像は、新橋駅に寄り添う外堀通り(都道405号線)をゆく路面電車「都電〔6系統〕渋谷駅行き」。後方の高架線を走るのは東海道新幹線〔0系電車〕=1967年1月27日、港区新橋、撮影/沢柳健一
噴水があった駅西口広場(SL広場)
新橋駅周辺の待ち合わせ場所の定番であるSL広場。別名は「西口広場」ともいい、JR新橋駅の日比谷口に面している。新橋には日比谷口、銀座口、汐留口、烏森口と4つ出入口がある。新橋といえば、駅前のランドマークであるSL(蒸気機関車)が有名だが、そのSLがお目見えしたのは、54年前となる1972(昭和47)年12月のこと。これは、日本に鉄道が開業した1872(明治5)年から数えて100年という節目を記念して、港区が国鉄(当時の日本国有鉄道)の協力を得て設置したものだ。
このSLは、先の大戦中の1945(昭和20)年2月に日本車輌という鉄道車両メーカーで製造された「C11形292号」という、いわゆる「戦時型」と呼ばれる蒸気機関車だ。その軌跡は、中国地方にあった姫路機関区という車庫に所属し、播但線〔ばんたんせん〕や姫新線〔きしんせん〕といったローカル路線で活躍し、生涯の走行距離は108万3975キロメートルを記録した。
かつてこの広場には、「噴水」があったことを記憶している方もおられることだろう。その傍らにはタクシー乗り場も併設されていたが、広場の整備によって2005(平成17)年に姿を消した。


























