やさしさに言及した「夕焼け」
高田渡の好きな曲、その2は「夕焼け」だ。この曲も『ごあいさつ』に収められ、早川義夫がアレンジしている。現代詩人の吉野弘の作品だ。ぼくの大好きな詩人で高田渡が取り上げてくれた時、ぼくは21歳。まだ彼と出逢っていなかったがとても嬉しかった。
2話で紹介したスカイパーフェクTVのトーク&ライヴ番組『FOLK AND ROCK MASTERS』で、高田渡はビールは用意してあるし、彼の大嫌いだったリハーサルも少なく御機嫌だった。ライヴでもそうだったが、彼は曲順にあまり拘わらず、いつも持ち歩いていた詩の書かれていたファイルをパラパラめくりながら気ままに演奏していた。
そのファイルというかノートを見せてくれて、“何かリクエストがあれば演ってやるよ”と言ってくれた。ぼくはノートをめくって「夕焼け」を捜したが無かった。その旨を彼に伝えた。すると彼は“ちょっと待っててくれよ。家に電話してくるから”と言って、スタジオを出て事務所へ電話を借りに行った。戻って来ると“家の者に捜させてるから、30分くらいでFAXで送ってると言っている”と言った。30分も待たずに「夕焼け」の詩が届き、番組で披露してくれた。
夕暮れ時、少女は満員電車に乗っている。若者が坐り、年寄りが立っている。少女は席をゆずる。礼も言わず年寄りは次の駅で降りた。また別の年寄りが乗って来る。少女は再び席をゆずる。年寄りは礼を言って次の駅で降り、新たな年寄りが乗って来る。今度は少女は席をゆずらなかった。代わりにやさしい心に責められる。車外の美しい夕焼けも見ていない。現代におけるやさしさに言及した温かく悲しく、残酷でもある作品だ。
お葬式でも流れた「私の青空」
3曲目は生涯歌い続けた「私の青空」。ジョージ・ホワイティング作詞、ウォルター・ドナルドソン作曲という名曲だ。日本語には堀内敬三が訳している。2001年発表のラスト・オリジナル・アルバム『日本に来た外国詩…。』に収められている。1973年のアルバム『石』でも歌っていて、この時は高田渡の大好きだったデキシーランド・ジャズ風のアレンジだ。
日本ではエノケンなどの歌唱で知られている。『日本に来た外国詩…。』はタイトル通り、ラングストン・ヒューズ、ジャック・プレベール、マリー・ローランサンなどの日本でもお馴染みの詩が歌になっている。「私の青空」は高田渡のお葬式でも流れていた。
このアルバムの次は“絶対に人に言っちゃ駄目だよ”と釘を刺して、グリム、アンデルセン、日本古来などの童話を曲にしたいと語っていた。渡さん、どうして長生きして、そのアルバムを届けてくれなかったんだ。こうして書いている窓の外は冬の青空だ。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。