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無名の物書きにエッセイを依頼した顛末とは?

浅田さんのエッセイはここまで。最後に、原稿を依頼した「講談社社員であるらしい男」の側からこの日までの顛末を書いておきたい。

今から28年前、週刊現代に在籍していた、くそ暑い夏のある朝。徹夜での入稿を終えて帰宅途中、西日暮里駅で乗り換え中のことだった。持っていた本を読み終えてしまったため、駅の小さな本屋をのぞき、ふとタイトルに惹かれて一冊の本を手に取った。タイトルは『ピカレスク英雄伝』。作家名はまったく聞いたことがなかった。

千代田線の下り電車に乗り、ページを開く。油断していた。北千住に着くまでのわずかの間に2度吹き出した。「変なやつだ」と不振気な視線を送ってくる周りの目が気になり必死に耐えたが、金町を過ぎるまでにまた3回吹いてしまった。あまりに懸命に笑いを堪(こら)えたため、松戸辺りでは腹筋が攣(つ)りそうになっていた。

ところが、北柏駅で電車を降りる頃には、懸命に涙を堪えていたのだ。この間、わずか35分。驚愕(きょうがく)した。強烈な笑いのセンスと滂沱(ぼうだ)の涙を搾(しぼ)らせるストーリーテラーとしての圧倒的な力量。なんでこんな才能が無名なんだ? もしかしたら、自分は今、埋もれる大金脈に触れているのではないかと震えがきた。(ちなみに、『ピカレスク英雄伝』は、現在、『きんぴか1 〜3』の第3巻として光文社文庫より刊行中)。

週明け早速、プラン会議でこの作家にエッセイを書かせたいと提案した〈当時、週刊現代の連載小説は大御所売れっ子作家の独壇場(どくだんじょう)で無名の新人の登用はありえなかった〉。誰も名前を聞いたことがない無名作家のエッセイなんてプランは当然のようにあっさり無視された。あきらめる気はなかった。4 週連続でプランを出した。最後は根負けした編集長が吹き出し、「おまえ、ホントにしつこいな。じゃあ、とりあえず会いに行って、見本を3本書いてもらえ。面白かったらやらせてやる」と仮採案してくれたのだった。

そして、浅田さんがエッセイで書いたこの日の顛末を経て、連載が始まったのでありました。

『勇気凛々ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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おとなの週末Web編集部 今井
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