子どもたちにヴァーチャルでない体験を
ワイン造り体験については、20年の収穫期が最初だった。ブドウ栽培農家から借り受けた畑の一画でブドウを収穫(品種は白ワイン用のケルナー)。曽我さんの醸造所で足踏み破砕と手押し式のプレス機での圧搾を経験させた。果汁は20リットル入りの斗瓶に詰められ、自然発酵。顕微鏡とディスプレーを使って発酵の仕組みを学ばせようとしたが、微生物の働きを理解するには子どもたちが幼すぎたようで、これは失敗‥‥。翌年の春、子どもたちがラベル画を描き、自分達の手でボトルに貼って完成させた。こうしてできたワインは児童1人当たり2本を支給。1本はその場で父兄に持ち帰ってもらった。もう1本はドメーヌ・タカヒコのセラーで眠る。その分は子どもたちが卒業する時に手渡される約束だ。
「おやじの会」メンバーで、オーベルジュ「余市サグラ」のオーナーシェフ、村井啓人さんは「我々がやりたかったのは子どもたちにこの土地の良さを知ってもらうことでした」と言う。村井さんは17年に札幌から移ってきた。都会の学校に馴染めなかった息子が余市に来てのびのびと暮らすようになったのを目の当たりにし、移住して本当に良かったと思った。「イタリアで修業したとき、日本人に足りないのは郷土を愛する気持ちだと感じました」ふるさとを愛するようになるためには、その土地の魅力に気づかなければならない。「子どもたちがいずれ成長して余市を離れることになったとき、君のふるさとには何があるの? と訊かれて答えられないとしたら、それは親のせいでしょう」
村井さんはこうも言う。「ここで我々が子どもたちに経験させていることはヴァーチャルではない。そのことに大きな意味があると思います」。都市での暮らしはますます情報過多になり、知りたいことは瞬時にスマホで得られる。そんな環境に慣れた子どもは成長に不可欠なトライ・アンド・エラーをする機会が極めて少ない。一方、余市の自然の中でのアクティビティーは子どもたちにとって試行錯誤に満ちた冒険の繰り返しと言うことだろう。村井さんの息子の「のびのび」もその辺りと関係があるに違いない。思えば村井さんが生業にしている料理も、曽我さんらのブドウ栽培やワイン造りも生き物や自然相手の、マニュアル通りにいかない世界。彼らの仕事ぶり、生き方が既に「反ヴァーチャル」「反スマホ的」と言える。
「余市は人のつながりがいいんですよね」と言うのは、会のメンバーでPTA会長でもある木内大介さん。次女の千宙(ちひろ)さんが6年生で登小に通う。彼女はワインのラベルに猫の絵と運動会で頑張った思い出として「走れ!」と記したそうだ。子どもらしい大らかさが伝わる良いエピソードだと思う。「おやじの会の活動は、誰がリーダーというのでもなく、みんなでやれることをやるという感じです」企業や自治体のコンサルタントをしている東京出身の木内さんが17年に余市に移ったのは、農業がやりたかった妻・美佳さんの念願を叶えるため。余市で醸造の魅力に触れた美佳さんは去年からシードルの醸造も手がけている。15年間に及ぶイギリスでの生活体験がある木内夫妻にとってシードル(イギリスではサイダー)は馴染みのある酒でもあった。今年の子どもたちの醸造体験は、美佳さんの営む「ピンクオーチャード」のりんご畑と醸造所で行うことになっている。