音楽の達人“秘話”

「バンドのヴォーカルのつもりなんや」バンドを愛する沢田研二の実像 音楽の達人“秘話”・沢田研二(1)

沢田研二のアルバムの数々

国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。今回から取り上げるのは歌手の沢田研二です。1967年にGS…

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国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。今回から取り上げるのは歌手の沢田研二です。1967年にGS(グループ・サウンズ)バンド「ザ・タイガース」のヴォーカリストとしてデビュー。1971年にバンドが解散した後はソロ活動を始め、「危険なふたり」「時の過ゆくままに」「勝手にしやがれ」などのヒットを連発し、テレビの音楽番組などを通じて幅広い人気を獲得します。映画にも出演するなど俳優としても活躍。74歳の現在も精力的にコンサートを続けています。第1回は、“ジュリー”の愛称でアイドル的な人気を誇ったスーパースターの1970年代に漏らした“本音”から……。

「ザ・芸能界のジュリーをやめて、ロックに生きて欲しい」

フラワー・トラヴェリン・バンド、そしてソロ・ヴォーカリストとして「人間の証明のテーマ」を大ヒットさせた故ジョー山中と1990年代中期に逢った時のことである。彼が生涯貫いたロック・スピリットの話になった。そこで話はいつしか沢田研二のことに及んだ。

1968年、フラワー・トラヴェリン・バンドの結成に当たり、ジョー山中を誘ったのは、日本のロックン・ロール・キング内田裕也だった。沢田研二を無名時代の所属バンド、ファニーズの時から声掛けしていたのも内田裕也だった。ファニーズは上京して、「ドラゴンクエスト組曲」などでも知られる、すぎやまこういちの命名でザ・タイガースとなった。年齢はジョー山中が2歳年上で、上下関係の厳しい“内田組”では彼が沢田研二の先輩に当たる。

ジョー山中が沢田研二に対して言っていたのは、“もういい加減にザ・芸能界のジュリーをやめて、ロックに生きて欲しい”というものだった。“ロックに生きる”とは反権力、反体制、自由と平和を愛することだ。1960年代中期、ロックという音楽ジャンルが固定された時、ロックを演奏するミュージシャン、ロックを愛するリスナーの共通概念が、ロック的な生き方だった。生涯、“ロックな生き方”をアピールし始める。そのきっかけとも言えるのが2008年の「我が窮状」という曲だ。この曲は憲法9条への祈りだ。“我が窮状 守れないなら真の平和ありえない”と沢田研二の護憲精神、平和への思いが歌われている。

1970年代、スーパースターの座を確立した頃

この時、沢田研二は60歳。還暦を迎えて聴衆に発信すべきものを明確にしたのだ、2015年には「こっちの水は苦いぞ」では再稼働に反対する反原発ソングも残している。リベラルなスタンスが左翼とされてしまうような右寄りとなった現代、沢田研二は真のリベラル派として還暦から新しい人生をスタートさせている。

ぼくはこれまで沢田研二と4回逢っている、1回目の出逢いはザ・タイガース、それに続くPYGから完全にソロ活動が軌道に乗った1970年代中期のことだ。スーパースターの座を完全に確立した頃だ。FM東京(当時)のラジオ番組に出演してもらい、月曜から金曜の午前の帯番組の中で、毎日10分ほど自身を語るという企画だった。収録は虎ノ門にあったFM東京の子会社FMサウンズで行われた。ぼくは彼にインタビューし、その内容をまとめる構成者として参加した。

ディレクターとぼくが待つFMサウンズのロビーにやって来た沢田研二は白いシャツ、チャコール・グレイのズボン、黒の革靴という地味ないで立ちだった。当時のテレビの歌番組で視る華麗なファッションとは程遠かった。当時、20代後半の若者のファッションからしても地味だ。それでも周囲の空気が変わるほどのオーラを発していた。

「バンドが好きやねん」 鮮烈な関西弁で語った本音

沢田研二の所属先だった渡辺プロダクションのスタッフから、ザ・タイガース時代のことは触れないように釘を刺された。だが、どうしても個人的にザ・タイガースについて訊きたかった。そこで収録の合い間にザ・タイガースの話を振ってみた。嫌な顔をされると思ったが、本人はいたって気さくにザ・タイガース時代について話してくれた。

“若い時からずっとバンドをやって来た。バンドが好きやねん。今もソロとかリード・ヴォーカルとして注目されてるけど、バックは固定していて、自分はバンドのヴォーカルのつもりなんや”と語った。テレビの歌番組などでは聞けない関西弁が鮮烈だったのを覚えている。

ぼくが一番訊きたかったのは、アイドルのような扱いだったザ・タイガース時代の楽曲の中で、どの曲が好きだったかということだった。“「シーサイド・バウンド」かな。あの曲はバンドで演っている楽しさがあったと思う”

数多いザ・タイガースのヒット曲の中で1967年5月に発表されたセカンド・シングルが「シーサイド・バウンド」だ。1970年中期頃の“ジュリー”ファン、ザ・タイガースのファンからは意外な答えだったと思う。ぼくも意外だった。そこに“ロック・ミュージシャン”として、バンドを愛する沢田研二の実像が垣間見られたのを昨日のことのように覚えている。

ザ・タイガース、ソロ時代の沢田研二のアルバムの数々

岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。

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