選手時代の経験を生かす 長距離とボクシングの共通性
現在、村野さんはスピードスケートの高木美帆選手やラグビー日本代表の姫野和樹選手や松島幸太朗選手など、多くのアスリートをサポートしています。ボクサーでは井上選手以前にも、WBCバンタム、スーパーバンタム、フェザー級の3階級王者、長谷川穂積選手(当時)を担当しており、サポートを通じてボクシングの魅力を感じたと言います。
自身も学生時代から実業団まで長距離選手でした。食が細く、長距離選手としての体作りやケガに悩まされることも多かったといいます。特にスタミナと脚力の両方を必要とする長距離は、しっかり食べてカラダをつくることがパフォーマンスに直結する競技だと痛感しているそうです。
「競技としては全く異なりますが、過酷な練習にストイックに打ち込む姿や、試合に向けてカラダをつくりコンディションを整えていく選手の様子を見て、ボクサーと長距離選手に共通する部分を感じていました。“痩せれば速く走れる”、“減量は過酷でも計量にパスさえすれば戦える”と誤った自己流の食意識を持つ選手はとても多い。かつての競技経験やこれまでのサポート活動を踏まえてそういう選手たちの力になりたい、と思っていました」
エルナンデス戦は今までで一番焦った試合
前述のエルナンデス戦で体調管理に苦労しました。3週間前にインフルエンザに感染し、ただでさえ体格的にライトフライ級での減量そのものが厳しくなっていることに加え、2週間で約10キロ減らすという過酷な状況に陥ってしまいました。数日間の絶飲食で計量は何とかクリアできましたが、満足な練習もできず、最悪のコンディションで試合を迎えます。
体調不良と減量の影響で井上選手は試合中に初めて足がつってしまいました。それでも持ち前のパンチの強さを武器に6ラウンドでTKO勝利を飾ります。一見、体調不良を感じさせない展開でしたが、この試合を「今までで一番焦った試合」と、以前出演したラジオ番組で語っていました。
当時、20歳だった井上選手は、計画的な栄養摂取ができておらず、試合直前の減量に際しても「水分を抜いて短期間で体重を落とす『水抜き』という昭和的なシステムの減量方法を用いていました」(村野さん)と振り返ります。ただ、それは井上選手の意識が低かったというわけではなく、計画的な栄養摂取によってもたらされる効果を知らなかっただけ、と言います。
井上選手はこの試合をきっかけに調整の大切さを痛感します。村野さんの栄養指導がはじまり、本格的な肉体作りがスタートしました。
●井上尚弥(いのうえ・なおや)
1993年4月10日生まれ。神奈川県座間市出身。小学校一年でボクシングを始める。高校一年でインターハイ・国体・選抜の三冠獲得。勝利を重ね続け、高校生にして、ボクシング史上初の7つのタイトルを獲得。プロ転向後は4戦目で日本王座に。日本を舞台に戦う日本人選手が多い中、文字通り「世界」を舞台に戦い6戦目で世界王座を獲得。8戦目での2階級制覇は当時、世界最速。この年、世界ボクシング界にて年間MVPを獲得した。
2018年5月25日には国内最短で3階級制覇を達成。同年開催のWBSSでは圧巻の70秒KO劇を見せた。2019年5月18日英国グラスゴーでWBSS準決勝を259秒TKOで制し決勝へ。2019年11月7日さいたまスーパーアリーナで行われたWBSSバンタム級決勝で12R 3-0の判定勝ちを収めWBSSバンタム級初代王者に輝いた。(公式ホームページより)
文/山本孟毅、写真提供/明治