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ただいい短編集を作りたかった

ただし、私と編集者の名誉のために言っておくと、私たちは決して直木賞をめざして『鉄道員』を作ったわけではなかった。そういう気持はかけらもなかった。

ひとつだけ考えたことは、「いい短篇集を作り、多くの人に読んでもらおう」ということであった。それこそが使命であると信じた。

いい短篇集が広く読まれる時代は、文学にとって幸福な時代である。もちろん社会にとっても、幸福で平和な時代である。

ならば、「短篇集は売れない」という業界の伝説を打破してみよう。そしてその結果、メディアの荒波に揉まれ、圧迫されつつある小説の世界を、われわれの力で恢復(かいふく)させよう。

われわれはほとんど例外なく、短篇集によって文学に目覚めた。私もまた、芥川龍之介やO・ヘンリーの短篇集によって、小説の面白さを知った。むろん偉大な先人たちには及びもつかぬが、後進のひとりとして力の限りにいい短篇集を作り、多くの読者に届けたいと思った。

たしかに、私から小説を取り上げたら骨のかけらすら残らない。ならばせめて、骨のかけらを拾い集めたような短篇集を作ろう。45年間も、私をかろうじて人間たらしめた「小説」に、私が今できることはそれだけだと思った。

数誌に分散していた短篇小説を、強引に取りまとめて一冊の短篇集に編んだ理由はそれである。各社の編集者は、私の説明を良く理解して下さり、無理な要求に快く応じて下さった。

『鉄道員』は今年の4月末に刊行され、短篇集としては近年にその例を見ぬほどの売れ行きを示している。

「いい短篇集を作り、多くの人に読んでもらおう」という私たちの目的は果たされた。ましてやその上に、直木賞の栄誉をいただくことができたのだから、私にとってこれにまさる欣(よろこ)びはない。

 同時に私はこの1年間、自分でも愕(おどろ)くほどのたくさんの原稿を書いた。量が多いからといって質が悪いわけではない。いい原稿をたくさん書かせていただいた。

 省(かえりみ)てこの活力がどこから生れたのだろうと考えれば、私の作品に対する諸先輩方の激励と叱責であったと思う。路上に寝転んでじたばたとないものねだりをする私に、ある方は厳しく叱りつけて下さり、ある方はやさしく説諭して下さった。だから私は、泣きながらも立ち上がって、もういちど、自分なりに力強く歩き始めることができた。叱られた分だけ、諭された分だけの努力が、ちゃんとできたのだと思う。

 鴻恩(こうおん)はいかに饒舌な私といえども、言葉に尽くしがたい。第117回直木賞作家の名誉と矜(ほこり)にかけて、たくさんの良い小説を書き続けることこそが報恩であると思う。

どうしても小説家になりたかった

どうしても小説家になりたかった。

どうしても小説家になりたかった。

たとえ世界とひきかえてでも小説家になりたかった私のために、私が滅ぼそうとした世界中の人々が祝福を与えてくれた。私を本物の小説家にしてくれた。

「君は作文が上手だから、小説家になればいい」と、小学校の恩師は言って下さった。

夭逝(ようせい)した中学の先輩は、20歳の命のかたみに、一束の満寿屋の原稿箋を遺して下さった。

後楽園のボディビル・ジムで、原稿の束を抱えて刺客のようにやってきた17歳の私に、三島由紀夫さんはにっこりと微笑みかけて下さった。その微笑みが忘れられずに、塹壕(ざんごう)の中でも小説を書いた。

どうしても小説家になりたかった。

どうしても小説家になりたかった。

そのためには世界を滅ぼしてもよいと考えた私のわがままを、人々は聞き届けてくれた。

1年前、私のために嘆いてくれた編集者たちが、今日はみんなで泣いてくれた。

もちろん憔悴(しょうすい)はせず、有頂天の私を去年と同じホテルに担ぎこんでくれたのは、『蒼穹の昴』の担当編集者O氏と、『鉄道員』の担当編集者C女史であった。「高所恐怖症」だの「方向音痴」だの、さんざ本稿のネタに使用したにもかかわらず、心をこめて「直木賞おめでとう!」と言ってくれた。

言うに尽くせぬ感謝のかわりに、君たちに誓う。

私はこの栄光のために努力をする。

この栄光を、日本文学の栄光とするために、歴史の栄光とするために、人類の栄光とするために、最善の努力をすることを誓う。

7月17日。今日は奇しくもわが母70歳の誕生日。

45年分のプレゼント、栄光のラッピングにくるんで贈ります。

僕は本当に小説家になりました。

ありがとう、おかあさん。百万回言います。ありがとう、おかあさん。

(初出/週刊現代1997年8月9日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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おとなの週末Web編集部 今井
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