出陣について
数寄屋橋のバーに担当編集者が集結
夜更、ローマで買い求めた「ピエタ」のレプリカを机上に置き、モーツァルトを聴いた。
昨年に較べればだいぶ気持に余裕があった。むろん自信があったのではない。2度目の経験なので、心の中に免疫抗体のようなものができていたのである。
ところが前夜になって、その免疫抗体が突如としてトラウマに変化した。昨年の落選をありありと思い出してしまったのである。
直木賞候補にノミネートされたことはフィレンツェで聞き、帰国してすぐ翌週、北京、香港へと取材に出た。当然その前後は原稿の締切に追いまくられていたので、正しくは多忙のために気がまぎれていただけかもしれない。いずれにせよ前夜になって初めて、真黒な塊が頭上に降りてきた。
満月のさし入る書斎の縁側にちょこんと座って、ミケランジェロを眺め、モーツァルトを聴く。そうでもするほかに、なすすべがなかった。地球上のどこにも、身の置き場がないような気分であった。
「あのう……」
と、廊下で家人が声をかけた。この数日、家族は大声も出さず、私の目をまともに見ようともしない。
「あのう……ちょっといいですか」
「はい、どうぞ」
襖がスルスルと開く。
「さしでがましいとは思いますが、明日は一緒に待たしていただいていいですか」
うう、と私は心の中で呻いた。落選の悲報に接したとき、その場に家人がおるのはまずい。
「おやめなさい。体に毒だから」
「でも、家で電話を待つとか、テレビのニュース速報を見るのはもっと毒ですから」
「編集者の皆さんが気を遣う」
「それはわかりますけど……」
まあ、気持はわからんでもない。いちおう版元の担当編集者に電話をして了解を得、明日は同席させることにした。
「猫をくれ」
「どの子を……」
「キャラちゃんを」
キャラはひと月前にわが家にきた真白な仔猫である。名前は候補作『鉄道員(ぽっぽや)』に所収されている短篇小説「伽羅(きゃら)」にちなむ。
かえすがえすも命名を後悔しつつ、仔猫を膝に収めた。キャラはとても人なつこい性格で、抱けばすぐに眠ってしまう。
満月が南天に昇りきるまで、「ピエタ」を眺め、「ジュピター」を聴いた。
夏の夜の静謐(せいひつ)さがおそろしい。
7月17日。雨。
神経は針のように尖り、ギャグの切れも悪く、銀座までの往路、車に酔った。
午後5時ちょうど、数寄屋橋のバー「V・V・V(スリーブイ)」へ。贔屓(ひいき)の女優、とよた真帆さんの母上が経営する店である。店内はすでに大勢の編集者たちで満員。週刊誌のグラビア班も4誌。何だか舞台に上がった感じでフラッシュを浴びる。
私を囲んで、担当編集者が車座になる。講談社、集英社、徳間書店、新潮社、光文社、角川書店、中央公論社、幻冬舎、双葉社……いずれも長い付き合いの担当者ばかりで、デビュー以来今日までの私を、公私にわたりつぶさに見てきている。いや、ともに歩んできたというべきか。
したがって全員が私と同様のプレッシャーを感じており、ほとんど石であった。ときどき石が口をきき、他の石たちが苦しげに笑う。さっきから私の隣に大理石の彫像が置いてある。よく見ると候補作の担当編集者C女史であった。
ただひとり、この席に文藝春秋社の担当がいない。同社は直木賞の運営に携っているので、担当編集者のH氏は同席できないのである。しかも、皮肉なことには「落選者への連絡係」であるという。