国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。フォークシンガー、西岡たかしの第4回では、音楽以外の一面が明かされます。ある夜、飲み屋で建築論を闘わせたエピソードなど、長年にわたって交流を重ねてきた筆者ならではの“秘話”です
知識をひけらかさない慎み深さ
西岡たかしという人は何でも徹底的にやらねば気がすまない人だ。その対象は実に広範囲に及んでいる。時として、その個人的な研究の成果を世に問うこともあるが、大部分は西岡たかしの心の中で完結している。ぼくは何度となく西岡たかしと逢って、その博学ぶりに心を打たれ、決して知識をひけらかさない慎み深さに心を奪われた。西岡たかしのその博学ぶりを日常では知ることができない。人に知識をひけらかさないからだ。
だが、この“大阪下町のおいちゃん”は心許せる人との酒の席では、酔うと知識を噴出させることがある。ぼくと同い年の沖縄のカリスマ・シンガー・ソングライター、佐渡山豊は若い頃から先輩である西岡たかしに可愛がられてきた。
沖縄では知らぬ人がいないと言われている名曲「ドゥーチュイムニイ」(沖縄の古い言葉で独り言という意味)は、発表から約50年が過ぎても“沖縄という日本”に住む人々の心を代弁している。西岡たかし、佐渡山豊、西岡たかしの長年のマネージャーである新見(しんみ)知明、ぼくの4人で六本木の酒場にて飲食をしたことがあった。西岡たかしに良い加減で酒が回った頃、建築物についての話になった。
東京駅からサグラダ・ファミリアまで
シンガー・ソングライターとは別の顔として一級建築士の資格を持つ佐渡山豊は、バルセロナの生んだ偉大な建築家アントニオ・ガウディの大ファンで研究家だ。バルセロナに何度も足を運び、ガウディに捧げる曲さえ発表している。実はぼくもガウディ好きでバルセロナを二度訪れ、代表作「サグラダ・ファミリア」をずっと携帯電話の待ち受け画面にしている。
佐渡山豊とぼくでガウディの話で盛り上がり、いつしか近、現代建築の話をしていた。主に佐渡山豊からぼくがいろいろと教えてもらっていた。そこにほろ酔いの西岡たかしが割り込み、いつしか佐渡山豊と西岡たかしのディベート状態となった。ルネッサンス建築から、中国の唐代の建築物、日本の奈良時代の建築技術、東京駅の建築話などガウディから始まって、あらゆる建築論となっていった。
西岡たかしの知識は専門家である佐渡山豊のそれを凌駕していた。例えば東京駅を設計した辰野金吾について、西岡たかしは佐渡山豊と同等、あるいはそれ以上に知っていた。ディベートについていけなくなったぼくは、ふたりのやりとりに感心しながら耳を傾けていた。