「今日の晩ご飯はハンバーグよ!」、なんて聞くと、なんとなくテンションが上がりますよね。それが「焼豚」や「ローストポーク」になっても喜んでほしい! と奮闘するのが、1929(昭和4)年創業の精肉店『松屋』の三代目・遠藤 剛さん。「焼豚を食卓の真ん中へ」を目標に、焼豚(やきぶた)の価値向上に熱意を注ぐ遠藤さんが焼豚専門店として同店を生まれ変わらせ、人気を集めている。その秘訣を探る。
画像ギャラリー老舗精肉店の3代目が焼豚に込めた思いと覚悟
浅草や上野からほど近い、東京都台東区鳥越の「おかず横丁」。この商店街にあるのが、今回紹介する焼豚専門店『浅草鳥越おかず横丁 松屋』(以下、松屋)だ。
焼豚を「人気のご飯のおかずにしたい」、「価値ある贈り物として使っていただきたい」というふたつの目標を立てて、家業を継いだのが三代目の遠藤 剛さん。
『松屋』は、1929年に精肉店として創業。2代目である遠藤さんの父母が切り盛りする人気店だったが、ご両親が次々と体調を崩し、2010年頃から休業していた。
遠藤さんはその頃、広告などに触れる機会が多い業界にいたが、心の奥底では家業のことをなんとかしたいという思いをずっと抱いていたのだとか。
「他社さんのPRなどを扱うたびに、人のことを考えている場合ではないと感じていました。このまま終わっていいのか? と自問自答した結果、やらないという選択肢はありませんでした。
3代目として、『松屋』が今まで培ったものやノウハウで挑戦してみるのは、男の人生をかける最後の仕事としていいのではと思ったんです」と話す。
閉店状態である現状を打破し、まずは10年、思い切りやるためにどうやったら続けられるのかをとにかく考えた、と言う遠藤さん。
「こう言うのもなんですが、父と母がやっていた家族で店を守る昭和のスタイルでは店を継続できないと思いました。
父と母が毎朝早起きして芋をふかして玉ねぎを切って挽いた肉と合わせて炒めて揚げて売っていたコロッケ作りを子どもの頃から見ていたので、自分ひとりでは真似できないなと思ったんです。
味を守りながらも、やりたいこととできることの両立を考え抜いた結果が、当時人気の惣菜だった焼豚に着目し、現代流にアレンジすること。
「こういう(下町という)土地柄なので、近所からは『松屋』のせがれが何かを始めたぞ、そんなに続くわけないだろう、という話になりがちです(笑)。小さなときからみんな知っていますし、ここで商売をやる以上は逃げも隠れもできないと腹をくくりました」(遠藤さん)
温故知新の精神で試行錯誤を重ね、焼豚専門店としての『松屋』を2017年にオープン。行列のできる人気店という、現在の立ち位置を確立するに至っている。
素材にこだわって、ブランド価値を再構築
さて、そんな『松屋』の焼豚だが、ブランド価値を再構築するために行ったのが、素材への大きなこだわりだ。
店頭に並ぶメインの商品は「謹製」と「黒豚」の焼豚。これを求めて行列ができる。「謹製」は群馬県産の上州せせらぎポーク、「黒豚」は鹿児島県産の渡邊純粋黒豚を使用している。
「謹製」はバラと肩ロース、「黒豚」はモモで作り、出来上がりの大きさでその日の値段が決まる。例えば「謹製」の最も小さいサイズの小粒(205g)は1050円。小梅(240g・1200円)、梅(300g・1500円)、竹(350g・1750円)、松(385g・1900円)、千貫(バラ:420g・2100円、ロース480g・2400円)とある。
営業は基本的に毎週土曜日のみ(お祭り等で一部営業することもあり)。その他の曜日は仕込みや素材探しなどに充てているという。
焼豚の調理工程の一部を見せていただいた。カットして形を整え、糸を手でギュッと巻いた豚は、焼豚を作るときに出るラードをたっぷりと使って揚げ焼きのようにし、きつね色に焼き上げている。
このラードには2種の豚の脂が溶け込んでおり、両方の旨みが混ざったもの。揚げ焼きにすることで、脂がいい感じに落ちるだけでなく、旨みをより濃厚にまとう。ラードには塩を入れており、ほんのりと下味がつけられるのだ。
揚げ焼き後、1日寝かした焼豚は東京・下町の味らしく、醤油と三温糖、塩というシンプルかつキリリとした味わいの本ダレに30分ほど漬け込む。本ダレは5時間ほどかけて毎回作られ、栃木県産唐辛子のピリッとした辛さがアクセント。豚の脂の深みと甘みをより引き立たせている。
持ち帰り時に漂うタレの芳しい香りに、思わずお腹が鳴ること請け合いだ。
ちなみに、開店当初約50本を仕込んでいたが、すぐに売り切れてしまっていた。それが現在では70本ほど準備できるようになったため、日にもよるが午後早めまではまだ買えることもある。
地域の特色を生かした銘柄豚の冷凍焼豚や端肉の瓶詰めも!
ということで、いざ実食。
「謹製」はほろほろと柔らかだが、お肉を食べている! という充実感・満足感がある。
「黒豚」は、肉質がきめ細やかでしっとりとした身に歯が入っていく感じが気持ちいい。脂身も上品な甘さだ。
なお、松屋の焼豚にはほかにも、プレミアムポークと呼ばれるTOKYO Xを使った「東京X 焼豚」、長野県産の信州北八ヶ岳山麓豚を使った冷製仕立ての「塩豚」、静岡県産の浜名湖育ちで手火山式のカツオ節を使用した「鰹豚」を冷凍焼豚として提供している。
これらは、全国各地で遠藤さんが足を運んで見つけた銘柄豚を現地の方々と協力して作り上げている。
できるだけ、その各地の工場とタッグを組みながらみんなにとって三方良しとなるような仕組みづくりに尽力しているのだ。冷凍はECサイト、もしくは運が良ければ店頭で購入することができる。
また、焼豚にしたとき、どうしても出てしまう端肉をもう一度、リブランディングして、よりおいしいものにして出したいという思いで、もうひと手間加えて商品化した瓶詰めもある。
TOKYO Xの江戸味噌漬けの「東京X焼豚味噌漬け」や、塩豚と白舞茸の塩麹煮の「白麗」、謹製を本ダレと国産の刻み生姜でスッキリと煮付けた「焼瓶」。そして、黒豚の角切りを焼豚タレで煮付け、香り高い福来みかんを使った七味唐辛子と合わせた「黒角」の全4種類を揃える。
このように食材を無駄にしない努力などを行いながら、おいしい焼豚を届けようと奔走する遠藤さん。良質なものを探し出そうと生産者に直接会いに行く姿勢に感銘を受けたし、実に楽しそうな姿に共感した。
3代目が語る、昭和50年代の「おかず横丁」
なお、『松屋』が位置する台東区鳥越は、浅草や上野からほど近く、その昔職人が多く暮らしていたという。そうした背景から惣菜店などが軒を連ね、「おかず横丁」という愛称がつけられた商店街だ。
しかし、筆者が現在の「おかず横丁」を訪れた際、平日の昼間に店を開けていたのは、味噌や漬物の専門店『郡司味噌漬物店』と煮豆や佃煮などが人気の『入舟や 水上商店』、近隣住民にも厚く支持されている和菓子店の『港家』、そしてカレー店と生花店だった。
オリジナルのたくあんなどがおいしい『郡司味噌漬物店』も素敵だし、『入舟や 水上商店』の上品な味付けの佃煮は常備しておきたいし、『港家』のかき氷や和菓子なども魅力的。しかし、「おかず横丁」と呼ぶには正直なところ、ちょっと寂しい気がする。
この場所で生まれ育った遠藤さんが、賑わいを見せていた頃の「おかず横丁」について教えてくれた。
「いまハンコ屋さんになっている並びは、焼魚なども売る魚屋でした。おばちゃんが焼く、銀ダラが大好きだったんですよね。斜向かいはお米屋さん。いつも米ぬかのいい香りがしていました。
その並びは『漆原』さんという、漬物や煮物、何を食べてもおいしい惣菜店でした。店の奥に入ると、火を起こして煮炊きする窯があって、子ども心にその存在感にスゴイ!と思っていました。でも多くの店主がもうご年配のため、閉めてしまったんですよね」
遠藤さんが子どもの頃の「おかず横丁」は、歩いているだけでお腹が空いてくるようないい香りが横丁中に漂っていたのだろう。
「小学生だった昭和50年代、この通りに同級生がたくさんいて、みんなで遊んでいました。店の前の通りで野球をしていたら、いろんなお店にボールが転がって入っていっちゃったりね(笑)。
隅田川の花火のときは、母が揚げた好きなおかずを持って瓦屋根の上に登り、従兄弟たちと第二会場の花火をよく見ていました」と話す。
まるで昭和の映画の中のような光景だ。
「おかず横丁」を歩くと、東京大空襲を逃れた、貴重な銅板建築が見られる。『松屋』の建物自体も正面は左右対称で奥は瓦焼きという、看板建築の趣きが残っている。
しかし、人気エリアの蔵前もほど近いため、今はマンションなども増え、花火が見えなくなり、景色も大きく変わったと言う。
店舗と自宅が一体化している建物が多いので、若い人たちが商売を始めたくても簡単に貸すことができない造りに、街の活性化が進まない一面があるのだそう。
それでも、現在も自身のお子さんたちを含め、近隣の子どもたちがここで遊んでいる姿に目を細める遠藤さん。
時代とともに変化が進めば、この「おかず横丁」の景色も変わってくるのかもしれない。
■『浅草鳥越おかず横丁 松屋』
[住所]東京都台東区鳥越1-1-6
[電話番号]03-3851-4441
[営業時間]土11時〜売り切れ次第終了
[交通]JR総武線・都営浅草線浅草橋駅から徒歩8分ほか
https://matsuya-yakibuta.tokyo
取材・撮影/市村幸妙
画像ギャラリー