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3代目が語る、昭和50年代の「おかず横丁」

なお、『松屋』が位置する台東区鳥越は、浅草や上野からほど近く、その昔職人が多く暮らしていたという。そうした背景から惣菜店などが軒を連ね、「おかず横丁」という愛称がつけられた商店街だ。

「おかず横丁」の入り口に掲げられた看板
「おかず横丁」の入り口に掲げられた看板

しかし、筆者が現在の「おかず横丁」を訪れた際、平日の昼間に店を開けていたのは、味噌や漬物の専門店『郡司味噌漬物店』と煮豆や佃煮などが人気の『入舟や 水上商店』、近隣住民にも厚く支持されている和菓子店の『港家』、そしてカレー店と生花店だった。

オリジナルのたくあんなどがおいしい『郡司味噌漬物店』も素敵だし、『入舟や 水上商店』の上品な味付けの佃煮は常備しておきたいし、『港家』のかき氷や和菓子なども魅力的。しかし、「おかず横丁」と呼ぶには正直なところ、ちょっと寂しい気がする。

この場所で生まれ育った遠藤さんが、賑わいを見せていた頃の「おかず横丁」について教えてくれた。

「いまハンコ屋さんになっている並びは、焼魚なども売る魚屋でした。おばちゃんが焼く、銀ダラが大好きだったんですよね。斜向かいはお米屋さん。いつも米ぬかのいい香りがしていました。

その並びは『漆原』さんという、漬物や煮物、何を食べてもおいしい惣菜店でした。店の奥に入ると、火を起こして煮炊きする窯があって、子ども心にその存在感にスゴイ!と思っていました。でも多くの店主がもうご年配のため、閉めてしまったんですよね」

遠藤さんが子どもの頃の「おかず横丁」は、歩いているだけでお腹が空いてくるようないい香りが横丁中に漂っていたのだろう。

「小学生だった昭和50年代、この通りに同級生がたくさんいて、みんなで遊んでいました。店の前の通りで野球をしていたら、いろんなお店にボールが転がって入っていっちゃったりね(笑)。

隅田川の花火のときは、母が揚げた好きなおかずを持って瓦屋根の上に登り、従兄弟たちと第二会場の花火をよく見ていました」と話す。

まるで昭和の映画の中のような光景だ。

「おかず横丁」を歩くと、東京大空襲を逃れた、貴重な銅板建築が見られる。『松屋』の建物自体も正面は左右対称で奥は瓦焼きという、看板建築の趣きが残っている

しかし、人気エリアの蔵前もほど近いため、今はマンションなども増え、花火が見えなくなり、景色も大きく変わったと言う。

店舗と自宅が一体化している建物が多いので、若い人たちが商売を始めたくても簡単に貸すことができない造りに、街の活性化が進まない一面があるのだそう。

それでも、現在も自身のお子さんたちを含め、近隣の子どもたちがここで遊んでいる姿に目を細める遠藤さん。

時代とともに変化が進めば、この「おかず横丁」の景色も変わってくるのかもしれない。

■『浅草鳥越おかず横丁 松屋』
[住所]東京都台東区鳥越1-1-6
[電話番号]03-3851-4441
[営業時間]土11時〜売り切れ次第終了
[交通]JR総武線・都営浅草線浅草橋駅から徒歩8分ほか
https://matsuya-yakibuta.tokyo

取材・撮影/市村幸妙

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市村 幸妙
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