「大鯛の酒蒸し」を囲んで別れを惜しむ 翌4月10日の朝、美智子さんは出かける支度をして2階から降りてきた。淡いピンクサテンのドレスに、ミンクのストールを肩にふわりと掛けた装いであった。 階下ではご両親とごきょうだいに加え…
画像ギャラリー1959年4月10日、皇太子明仁殿下(今の上皇陛下)と美智子さまはご成婚された。初めて民間から皇室に嫁ぐ娘を送り出す日の朝、最後に家族が囲んだお祝いの食事は「大鯛の酒蒸し」だったという。嫁に出すのは淋しいけれど、めでたいこと――。そんな家族の想いが感じられる食卓である。そんなあたたかい家族の想いを受け止めて、美智子さんは家族一人ひとりに言葉を書き残したという。今回は、明日への旅立ちの食卓をめぐる物語である。
淋しがる家族への思いを託した手紙
「娘を嫁に出すのは、やはり淋しいものですよ」
ご婚約が決まってから、美智子さんの父・正田英三郎さんは、ラジオの対談で素直な心のうちを語っている。
ご成婚の前夜、正田家では美智子さんを囲んでお別れの食事をした。長い間大切に育ててきた娘を嫁に出す両親の淋しさに、美智子さんは気づいていた。そんな両親の気持ちを慮り、美智子さんはつとめて明るく振舞った。食事をしている部屋からは、美智子さんの明るい笑い声ばかりが聞こえてきたという。
テーブルには、ご両親をはじめきょうだいそれぞれの席に、美智子さんが用意した白い封筒が置かれていた。家族への想いを手紙に託したのだ。見知らぬ皇室に入る美智子さんの、覚悟と感謝の想いが綴られていたのだろう。
「大鯛の酒蒸し」を囲んで別れを惜しむ
翌4月10日の朝、美智子さんは出かける支度をして2階から降りてきた。淡いピンクサテンのドレスに、ミンクのストールを肩にふわりと掛けた装いであった。
階下ではご両親とごきょうだいに加え、親族たちが待っている。それぞれの想いに沈み、家族は誰も言葉を出さない。親族とともに囲む最後の食卓に供されたのは、大鯛の酒蒸しとワインであった。皆でお別れの杯をあげて、最後のひとときを過ごしたのである。
午前6時30分、家族親族とともに玄関から姿を現した美智子さんは、見送りの人たちに一礼し、両親に別れを告げて宮内庁からの迎えの車に乗って懐かしい家をあとにした。母の富美子さんが、そっと目頭を押さえていた。
その後、十二単にお召し替えされた正田美智子さんは、無事に結婚式を終えられて、正式に皇太子妃美智子さまになられたのである。
文/高木香織
写真/高木香織、高木彩奈
イラスト/片塩広子
参考文献/『美智子皇后の「いのちの旅」』(渡辺みどり著、文春文庫)、『皇后美智子さま すべては微笑みとともに』(渡辺みどり著、平凡社)
高木香織
たかぎ・かおり。出版社勤務を経て編集・文筆業。皇室や王室の本を多く手掛ける。書籍の編集・編集協力に『美智子さま マナーとお言葉の流儀』『美智子さまから真子さま佳子さまへ プリンセスの育て方』(ともにこう書房)、『美智子さまに学ぶエレガンス』(学研プラス)、『美智子さま あの日あのとき』、カレンダー『永遠に伝えたい美智子さまのお心』『ローマ法王の言葉』(すべて講談社)、『美智子さま いのちの旅―未来へー』(講談社ビーシー/講談社)など。著書に『後期高齢者医療がよくわかる』(共著/リヨン社)、『ママが守る! 家庭の新型インフルエンザ対策』(講談社)。
片塩広子
かたしお・ひろこ。日本画家・イラストレーター。早稲田大学、桑沢デザイン研究所卒業。院展に3度入選。書籍のカバー画、雑誌の挿画などを数多く手掛ける。