国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。音楽家・坂本龍一の最終回は、筆者の極私的ベスト3を紹介しま…
画像ギャラリー国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。音楽家・坂本龍一の最終回は、筆者の極私的ベスト3を紹介します。1978年のデビューから発表し続けた膨大な楽曲の中から、何を選んだのか。今回は、本連載担当編集者が選んだ好きな3曲も付記します。
坂本龍一に影響を与えた民族音楽学者・小泉文夫
1978年、坂本龍一と初めて逢った時に教えられたのが小泉文夫(1927~83年)のことだ。小泉文夫は音楽家でなく、民族音学研究の泰斗で坂本龍一は大学生の時に彼の講議を聞き、いたく感動したという。
“岩田さんも音楽に関する仕事をするなら、小泉先生のことを学んだほうが良いですよ”と言われた。で、小泉文夫について、その後研究した思い出がある。小泉文夫のファンは細野晴臣など音楽シーンにも多くいる。
坂本龍一の仕事は、そのキャリア初期に多かったアレンジやスタジオ・ミュージシャン関係を除くと一貫して既存のいわゆるポップスの解体ではなかったかと思う。万人向けでないのに万人に好かれる。坂本龍一の音楽はそんな方向性だったと思える。メンバー自身が誰もあれほどの人気になると思っていなかったYMO。そこで坂本龍一は音楽の多様性の中から生まれるヒットの可能性を学んだと言える。別に大衆に迎合しなくても、売れるものは売れる。そうYMOから学んだのだろう。そのことは坂本龍一に自信を与えたのではないだろうか。
「メリー・クリスマス ミスター・ローレンス」…「そんなに時間をかけずに浮かんだ」
坂本龍一作品の中から、読者にお奨めしたい極私的3曲を選ぶのは難しい。忌野清志郎のファンの方なら、彼とコラボレーションした「い・け・な・いルージュマジック」(1982年)を推したいという方も多いだろう。
“あれはほんの冗談のつもりだった”と後に坂本龍一はぼくに教えてくれた。
ぼくの極私的3曲その1は映画『戦場のメリークリスマス』(大島渚監督)のサウンドトラックから「メリー・クリスマス ミスター・ローレンス」だ。坂本龍一のファンのみならず誰でも知っている名曲だ。
“映画音楽をやりたくて大島さんに頼んだら、やらせてもらえた。あの曲はそんなに時間をかけずにすんなりと浮かんできた。ぼくに音楽を任せてくれた大島さんには凄く感謝している”
そう坂本龍一はぼくに語った。
「メリー・クリスマス ミスター・ローレンス」はとにかくメロディーが美しく哀愁がある。映画に使われなかったとしても、充分にヒットした、そう思っている。あの映画を実際に観た人より、何らかの形でこの曲を聴き、惚れた人の方が多いのではないだろうか。ちなみにこのサウンドトラック・アルバムからシングルカットされたのはジャパンのデヴィッド・シルヴィアンとコラボレーションした「禁じられた色彩」で、全英シングル・チャートでは16位のスマッシュ・ヒットとなった。
「風にさらわれて」南佳孝の楽曲をアレンジ
極私的坂本龍一の3曲その2は1980年の南佳孝のアルバム『MONTAGE』からシングル カットされた「風にさらわれて」。坂本龍一は「モンロー・ウォーク」など数多く南佳孝の楽曲をアレンジしている。
ギターに元はっぴいえんどの鈴木茂、キーボードに松任谷正隆など日本の代表的なスタジオ・ミュージシャンが参加した「風にさらわれて」に於いて坂本龍一はストリングスとブラス・セクションのアレンジを担当した。スローバラッドのこの曲に於ける坂本龍一のストリングス・アレンジは白眉だ。隠れた名曲のひとつなのでぜひ一度聴いて頂きたい。
2023年1月17日、坂本龍一の誕生日にリリースされたラスト・アルバム『12』
極私的3曲その3は生前のラスト・アルバム『12』の全曲を推したい。この作品は闘病の合い間、少し心が音楽に向き始めた頃、サウンド・スケッチのように作られたアルバムだ。期間は2021年3月10日から2022年4月4 日で制作されている。1曲毎の曲名はなく、例えば「20220404」といったように楽曲がクレジットされている。
よく“生への執着”といったことが言われるが、『12』の楽曲の中からは、そういったことは伝わってこない。ただ淡淡と今ある生を見つめた、そんな音楽だ。死をも超越した世界というのが存在し、そこから坂本龍一が語りかけてくる、そんな楽曲群だ。最後の最後まで音楽と社会運動に命を捧げた坂本龍一ならではのラスト・アルバムだ。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。
【付録】「音楽の達人“秘話”」担当編集者の私的ベスト3(声入り編)
坂本龍一さんは、ほぼリアルタイムで聴き続けてきた唯一の音楽家だ。YMO結成やソロデビューが1978年。YMOで存在を知って聴くようになったのが1980年ごろだと記憶しているので、もう40年以上になる。音楽は好きで、いろんなアーティストのCDやレコードを所有しているが、こんなにも長期にわたって定期的に作品を買い続けてきた人は坂本さんしかいない。これまでにも何度か取材や公演後に会う機会に恵まれ、貴重なお話をお聞きした。この連載の場を借りて、個人的に好きな3曲を挙げたい。作品数があまりにも多いので、あえて“声入り”の曲から選んだ。3曲とも坂本さんが歌っている。
「Perspective(パースペクティヴ)」
1983年12月、YMOの“散開ツアー”中にリリースされたアルバム『SERVICE(サーヴィス)』に収録。作詞のクレジットは「坂本龍一、ピーター・バラカン」。当時、YMOの事実上のラストアルバムだったこともあり、タイトルの持つ意味合いや、歌詞の内容、収録順が曲としては最後(この後にS.E.Tのコントが入っている)などから、メンバー3人の解散後を想像するとともに、聴くたびに自分自身の“これからの人生”を強く意識したものだ。ベストを選ぶのはとても難しいが、ヴォーカル入りという制約を設けなくても、坂本さんの楽曲の中で最も好きな曲といっていい。
坂本さんも気に入っていたのだろう。ソロコンサートでもピアノでたびたび弾いていたと思う。ピアノヴァージョンはソロアルバム『/04』(2004年)で、ピアノのインストゥルメンタルヴァージョンは無観客のオンラインピアノソロコンサートの音源を収録したライヴアルバム『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 12122020』(2021年)などで聴くことができる。
「commmons(コモンズ)」のWebサイトで連載されている「私が好きな坂本龍一10選」で、高橋幸宏さんはこの曲を3番目に紹介している。
「美貌の青空」
ソロアルバム『SMOOCHY(スムーチー)』(1995年)に収録。作詞は、数々のヒット曲を生み出した売野雅勇(うりの・まさお)。哀愁を帯びた旋律、歌詞、アレンジなどから、欧州の石畳を歩きながら空を見上げている光景を想像した。とても個人的な感覚だが、アルバム発売の直前に、初めてポルトガルのリスボンを旅したことも影響したのだと思う。曲の印象が、人気のない旧市街アルファマ地区の路地を歩いていたときの雰囲気と重なり、聴く度にリスボンの街の空気を吸っているような感傷的な気分になる。
この曲も、坂本さんは繰り返し演奏して、その後のソロルバムにも収められている。『1996』(1996年)や『/04』では、ピアノとチェロ、ヴァイオリンの編成で聴くことができる。
「きみについて……。」
1983年の日本生命CM曲で、12インチシングルレコード『Life in Japan』に収録。このレコードは販促用だったため、当時はその存在すら知らず、いつか市販のレコード・CDに収められることを心待ちにしていた。1993年発売のCD『音楽図鑑完璧版』(計13曲)に追加収録されていることを知り、ようやく自宅のステレオで好きな時に聴くことができた。
ソロアルバム『音楽図鑑』は1984年10月発表の名盤だが、同曲はレコード(ボーナスシングル付き計11曲)には入っていなかった。実は、レコードと同時に発売されたカセットテープ(計12曲)には収録されていた。発売時には、音質を優先してレコードを購入した。カセットもレコード店で手に取った覚えがうっすらとあるのだが、まさか曲数が多いとは思わなかったのだろう。違いを認識できていなかった。ひょっとしたら、パッケージを裏返して収録曲(「君について」と表記)を目にしたかもしれないが、そもそもこのCM曲のタイトルを知らなかったと思うので、同曲だとは判別できなかっただろう。それに、録音用カセットはよく買っていたが、このような音楽カセットは自分にとっては購入の対象外だった。
今回久しぶりに手持ちのレコードの帯をよくよく見ると、“カセット(MIT-1001)日本生命CM曲「君について」追加収録”とある。購入時から今まで、この小さな記述が分からなかったということか。途中で気付いたとしても、カセットだということで結局食指が動かなかったのかもしれない。40年近く前に購入したこのレコードを久しく聴いていなかったこともあり、自分がどんなふうに思っていたのか、今となっては記憶がない。
人気コピーライター、糸井重里の歌詞は、父親が子供の時に将来の妻となる女性の存在を知らなかったことをつづる内容で、「僕はまだ君を知らない」と結ぶ。印象的なイントロと、未来の出逢いを夢想させる歌詞に、魅せられた。
数年前に、たまたま近所のお店で中古のレコードを見つけて手に入れることができた。ジャケットの目を閉じた坂本さんの写真を眺めていると、テレビのCMやラジオでしか聴けていなかったころのことを懐かしく思い出す。
坂本さん、こんなにも多くの楽曲を本当にありがとうございました。これからも、聴き続けます。堀晃和
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