町のレコード店に貼りだされた“「帰って来たヨッパライ」あります”
「帰って来たヨッパライ」が発売された頃は、まだ日本にはタワーレコード、HMVなど大手のレコード販売店は存在していない。ぼくのような洋楽マニアは、銀座の山野楽器か米軍のPX(売店)に入れてもらってしか、輸入盤は買えなかった。
町のレコード店はほとんど小規模で、「帰って来たヨッパライ」は入荷するとすぐに売切れになった。当時、ぼくが暮らしていた東京都大田区の小さな町にあったレコード店では、入荷すると“「帰って来たヨッパライ」あります”とデカデカと店主が書いた大きな紙が貼りだされたのを覚えている。
「帰って来たヨッパライ」は元々は、加藤和彦、北山修、平沼義男、井村幹生、芦田雅喜の5人で結成していたザ・フォーク・クルセイダーズ(初期はクルセダーズでなく、クルセイダーズだった)が自主制作した300枚限定の自主制作レコード LP『ハレンチ・ザ・フォーク・クルセイダーズ』に収められていた。このレコードがラジオ関西のラジオ・ディレクターの手に渡り、1967年11月に深夜番組でオンエアされた。そして近畿地方でブームになると、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」のDJだった高崎一郎が自分の番組でもオンエアした。それが回り回って、高嶋弘之のキャピトル・レーベルからのリリースとなる。この辺りの事情は書き出すと長くなるので省略させていただく。
1967年末に発売され、1968年に空前の大ヒットをさせたザ・フォーク・クルセダーズを各レコード会社が契約したがった。平沼らは脱退し、プロデビューに意欲的だったのは北山修だけだった。北山修は渋る加藤和彦を何とか説得したが、加藤和彦が出した条件は“1年限りの活動”というものだった。このふたりに、はしだのりひこが3人目のメンバーとして加わり、ザ・フォーク・クルセダーズ は“限定再結成”されることになった。それは真の若者向け大衆音楽のスタートとなった。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。