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未曾有の困難から学んだ少年の行為

被災者のひとりである男子中学生が、鉄道目殺を図ろうとする老人を発見した。老人は線路に蹲(うずくま)って、迫り来る列車をじっと待っていたのである。

ほとんど報道されなかった出来事であるから、以下は多少の想像をお許し願いたい。ともかく少年は、とっさに我が身の危険も省ず柵を乗り越え、何本もの線路を横切って老人のもとに駆け寄った。

「おじいちゃん、なにしとるねん。電車が来よるで」

「死ぬねん。わし、もう生きとってもしょうもないよって、死ぬねん。死なしてや、ぼん」

「あかん。死んだらあかん。さ、立たな」

「いやや。わし、死ぬねん。死んでみんなのとこ行くのや」

「あかんあかん。ぼくのおじちゃんも震災で死によった。学校の友達も近所の人らも、ぎょうさん死によった。だから死んだらあかんのやて。みんな死によったから、おじいちゃんは死んだらあかんのやて。生きなあかんのやて」

少年は線路上に根の生えたように蹲る老人を、力ずくで引きずって行った。

後日のインタヴューによれば少年はそのとき、ともかく交番を探して、自殺志願の老人を警察に託さねばならないと思ったそうである。白昼の町なかであるから、当然周囲に人はいたであろうし、車も走っていたはずである。しかし少年は、おそらく老人の命を救うことが自分の任務であると信じた。だから老人を小さな背中に背負って、ひたすら交番を探した。

こんな会話が交わされたのではなかろうかと思う。

「死なしてや、ぼん。家も焼けてもうたし、生きとってもしょうもないんや」

「家なら、ぼくんちかて焼けてもうたよ。そんなこと関係ないやろ」

「体もいうこときかへんねん。ぼんは若いよって、わからへんやろけど」

「それも関係あらへんて。おじいちゃんもぼくも、震災で死ななかったんやから、生きなあかんのやて。死んだらあかんのやて」

少年は老人の重みに力つきて、ようやく道路ぞいのラーメン屋に救いを求めた。死ぬはずであった老人は、こうして救われた。

この出来事は、朝のワイドショーがわずかに伝えただけである。新聞にすら報じられることがなかった。

少年の勇気ある行動について、私は「学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや」の一文を想起した。決して詭弁(きべん)にはあたらぬと思う。

多くの人々は、わずか1年前の悲劇を忘れてしまった。だが賢い少年は、彼の身の上に襲いかかった震災の悲劇の中から、学んでいたのである。そして時にこれを習い続けた結果、身の危険も省ずに老人を救い、説諭し、警察に送り届けることを責務と信じて、老人をその背中に背負ったのである。

学習効果などという今日的造語は、いささか軽薄に過ぎるであろう。しかし少年はたしかに、学び、時に習い、行動として体現した。孔子の訓えを不朽の実学であると信じている私にとって、少年の勇気はあまりにも眩(まば)ゆい。

われわれはみな、「政を為すに徳を以てす」ることを忘れてしまった。「仁に里るを美しと為す」ことも忘れてしまった。「信じて古を好む」ことも、「学びて時にこれを習う」ことも、ことごとく忘れ去ってしまった。そして忘れるどころか、これらの訓えを実学として教える教育者も、今はいない。

その結果が、住専問題であり、沖縄の問題であり、エイズでありオウムでありイジメであることに、誰も気付きすらしない。

震災はまことに不幸な出来事であった。被災者の方々の傷が癒えることは、永久にないだろうと思う。かくいう私も、お笑いエッセイの合い間に無責任な文章を書き、ときどき思いついたように、コンビニのガラス瓶に小銭を入れることぐらいしか、しはしない。

そんな私にとって、少年の行為はあまりにも眩ゆいのである。

不幸も幸福も、人間にとってはすべての変事が試練なのだと思う。襲いかかった不幸の有様をどのように記憶するのか、また幸福を甘受せずに、それがもたらされた原因と理由とをどのように分析するのか、まことの「学習」とはつまり、そういうことであろうかと思う。

震災は不幸な出来事であったけれども、不幸を記憶した神戸の少年たちの前途は明るい。おそらく彼らは、生涯を通じて時に習い、ある者は政治家となって不動の北辰のごとき善政を実現するであろう。あるいは人間らしい環境を求めて、家族を立派に養うであろう。あるいは古来からの訓えを繙(ひもと)き、真の教育者となるであろう。

そして何よりも、彼らは希望を失った人々に対して、「死んだらあかん。生きなあかんのや」、と叫び続けるにちがいない。そうすることを自らの責務と信じて、不幸な人々を背負って歩き続けるにちがいない。

少くとも彼らの中からは、人の命を何とも思わぬ医学者や役人は生まれない。何百億もの借金を踏み倒してシラを切る実業家も、金を金とも思わぬ放漫な銀行家も生まれない。かつて国家の楯となった島の苦難の歴史を、裁判で争うような政治家は生まれるはずがない。

未曾有の困難を体験した神戸の少年少女は、日本の未来にとって金の卵である。どうか倦(う)まずたゆまず、学問を積んで欲しいと思う。

(初出/週刊現代1996年4月27日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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おとなの週末Web編集部 今井
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