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創業者は大正13年、中国から日本にやって来た

JR京都駅の北口(中央改札)を出て東に数分歩くと、いつも行列の絶えないラーメン店があります。そのお店は昭和13(1938)年創業、京都ラーメンの最古のお店「新福菜館」です。

新福菜館の創業者は浙江省から日本に渡ってきた徐永俤さん。

徐永俤氏(中華民国留日僑民登記證より/提供:新福菜館/無断転載禁止)

徐さんは大正13年5月に入国し、眼鏡や反物の行商を経て、昭和13年頃、京都駅前で妻の文子さんとともに屋台を始めました。開業当時は中華そばになじみのない時代だったため、1日5杯売るのがやっとだったとのことですが、そこから徐々にお客さんが増え、店を構えたのは昭和17年頃。現在の本店の場所でした。

戦後になると、もの凄い勢いで繁盛し、早朝から夜間までの営業で、多い日には1日2000人近いお客さんが来店。繁盛とともに、従業員も常時12~13名が働いていました。

屋台時代から、中華そば一本で勝負しており、昭和20年代のメニューは並、小、肉なしの3種類だったようです。

昭和35年頃、徐文子さんと叔父の上田さん(提供:新福菜館/無断転載禁止)

名物「ヤキメシ」は昭和40年代後半に誕生、スープは煮干しから変更

もう1つの名物の「ヤキメシ」は、創業者から引き継いだ山内勝さんが、昭和40年代後半に考案したものでした。

山内さんが考案したヤキメシ

山内さんは昭和38年頃から新福菜館の味に惚れ、通い詰めているうちに、創業者の娘であり現・新福菜館の代表である初子さんと結婚。修業を経て昭和46年に跡を継ぎました。

山内勝さん(1997年撮影)

創業時から勝さんが継いだ昭和46年頃までは、スープに煮干しが使われていました。スープも今ほど黒くなかったようです。

勝さんは、先代の味をブラッシュアップすべく、煮干しをやめ、鶏ガラと豚の旨みを増やしました。するとその味にやみつきになったお客さんがどんどん増え、再び大繁盛店となっていきました。

新福菜館本店の店内(1993年撮影)
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おとなの週末Web編集部
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