今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。
夏坂健の読むゴルフ その22 美人ゴルファーの決断
全英4連覇の偉業直前に出場辞退
1893年から始まった全英女子ゴルフ選手権に、前触れもなく1羽の白鳥が舞い降りた。
当時の雑誌「ザ・フィールド」の内容は男臭いものばかり、ラグビー、サッカー、ゴルフにポロ競技。さらにはレスリングからボートまで取り上げるサービスぶりに、
「男の汗がしたたる雑誌」
と、定評があった。その筋金入り硬派編集部が、初めて女子ゴルフを取り上げただけでも衝撃的ニュースだというのに、美貌のマーガレット・スコット嬢の写真を大きく載せて、このように紹介したのだ。
「1番ティに現われた彼女は、含羞の微笑にも高貴な香りが漂い、あまりの美しさに誰もが息をのんで見蕩れた。まさしく彼女はウィンブルドンの草原に舞い降りた1羽の白鳥であり、天使と見まごう清純な煌めきは、断然他を圧倒した」
この場合、断然圧倒された「他」とは何を指すのか!? ただ正直に「ブス」と書かなかっただけのこと、いまならば抗議の電話が鳴って不思議はない表現だが、そこは名にしおう男尊女卑のお国柄、「ザ・フィールド」には1通の苦情も寄せられなかったそうだ。
いざゲームが始まってみると、ビクトリア王朝風のドレスを苦にもせず、トップではヘッドが地面に急接近するほどのオーバースウィングから、ここでも断然「他」を圧倒する豪打ぶり、グリーン近くでは柔打がことごとくピンにからむ按配、あっさり優勝して優雅に立ち去った。
エルドン伯爵の長女として生まれたマーガレットは、自宅の庭にタフな3ホールが完備された環境で育ち、5歳にしてパットの天才と騒がれた。しかし、外に出てプレーする必要がないため、一部から「幻のレディ」と呼ばれても、実際に彼女のプレーを見た者はいなかった。
それが突如として第1回大会に現われると、前代未聞の強さを発揮したばかりか、翌年、翌々年にも優勝して当時唯一のメジャーに3連勝だ。スコットランドからイングランドにかけて、まさに彼女は「時の人」だった。
そして1896年、4連勝の偉業をこの目で見たいと、前泊組も含めて約1万人のギャラリーが押し寄せた。もちろん、女子のゲームにこれだけの観衆が集まった例はない。ところが試合直前になって、いきなり彼女から出場辞退の知らせが舞い込んだから大変、会場は暴動寸前の騒ぎとなった。
「一体、何があったのか!?」
観客は詰め寄ったが、役員にもさっぱり事情がわからない。結局第4回大会は空気が抜けた状態のままに終わった。
それから半年後、のちに全英アマの覇者となった弟のマイケル・スコットが、友人にことの真相を打ち明ける。それによると、親のすすめに従った20歳の彼女は、貴族ハミルトン・ラッセル卿との結婚に同意する。ところが夫君は病弱の身、夫を置いてゴルフに出掛けるなど、当時の風潮からすると反逆罪に等しい行為だった。
「泣く泣く姉はクラブを折ったに違いない。しかし、周囲には悲しい態度の片鱗も見せず、いつも私を激励してくれた」
弟の話が活字になって広まると、なかには号泣する者もあって大反響、何も悪いことをしていないのに、ラッセル卿1人が悪者に仕立て上げられた。それにしても、愛のために果たして3連勝中の全英選手権が捨てられるものだろうか。後世、ゴルフ評論家のパット・ワード・トーマスは次のように書いたものである。
「恐らく半年後、いや1ヵ月後かな、彼女は心から悔んだに違いない。だって結婚生活よりゴルフのほうがおもしろいもの……」