森の中に去っていったチャンピオン
偶然だが、アメリカ球史にもよく似た話が残されている。1895年に創設された全米女子アマで、第2回大会から3連勝の偉業を達成した可憐なる乙女、ビアトリックス・ホイトもまた、いきなりチャンピオンの座から降りてしまった。
彼女の場合、15歳にして第1回大会に出場すると、いきなりメダリスト(予選成績第一位)に輝いて全米から脚光を浴びる。とにかく顔がかわいい上に、しなやかな体を目一杯使って男性顔負けの飛距離を披露する。シカゴGCのトップアマと勝負して遜色なかったというから、並の女性ではない。
1896年の第2回大会では、ロングホールで勝ち星を重ねる得意の試合運びで見事に優勝するが、当年とって16歳。この最年少記録は1971年にローラ・ボーが肩を並べるまで、実に75年間も不滅だった。
『アメリカのゴルフ・百年』によると、ホイトは15歳にして古参プロが辟易するほどアプローチが巧みだった。その秘密はクラブにあった。
「彼女の父親が考案したアイアンは、フェースが上を向く特殊な形態のものだった」(同書より)
思うに、いまのサンドウェッジに近いロフトのクラブでハイピッチをマスターしたのだろうが、それにしても15歳の少女だからこそ出来た大胆な技である。
さらに特筆すべきは、第1回から第5回まで、常にメダリストに輝いたことである。公式競技での記録としては空前絶後といえるだろう。
「ゲーム中、私は勝負について考えたことがない。いつも目の前のボールに集中するだけ。結果として、その集中力がいい方向に作用するのだと思う」
第5回大会のときには、彼女も19歳になっていた。そのころに受けたインタビューで、ゴルフは集中力のゲームだと語っている。また、
「ゲーム中、スウィングが変だと思っても直しては駄目。変なスウィングから打たれたボールで最後までゲームを進行させなさい。これが私から皆さんへのアドバイスよ」
このようにも言った。ゴルフ界の文豪、ハーバート・ウォーレン・ウィンドが編集した『アメリカ・ゴルフ史』によると、彼女にはあと50勝するぐらいの実力があった。ところが20歳のとき、純朴な青年と恋に落ちる。彼はカナダとの国境に近いキースの出身者、大学卒業後は長年の夢である森林警備隊に入る予定だった。
「だから、この恋はあきらめるしかないのよ」
彼女は友人に、寂しい胸の内を語っていた。ところが翌年の全米女子アマが始まる1ヵ月前になって、不意にエントリーが取り消された。この変事に気づいた「アメリカン・ニュース」の記者が、彼女の自宅をたずねたところ、折しも旅支度の最中だった。
「私は、フェアウェイからラフの奥に引っ越します」
「というと?」
「ラフの奥にあるのは森だけよ。私は森林警備隊員の奥さんになるの」
かくしてビアトリックス・ホイト選手もまた、一切の競技生活から足を洗って人妻となった。
「チャンピオンの座よりも、結婚のほうが大事なのか?」
その記者はこう書いたが、それは価値観の問題、周囲がとやかく言う話ではない。ただ、愛ゆえにクラブを折る所業は女性だけに見られる傾向であって、名誉欲の旺盛な男には真似が出来ない。
(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)
夏坂健
1936年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。