浅田次郎の名エッセイ

陸上自衛隊の一兵卒だった浅田次郎が防衛官僚の恥知らずな行いに抱いた憤り

バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時…

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バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。

この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第73回は「税金泥棒について」

「平和憲法の鬼っ子」に甘んじ、「税金泥棒」の誹りに耐え

陸上自衛隊に入隊したのは、昭和46年の春であった。

顧(かえり)みて思うに、私が在隊したその当時は、自衛隊にとってまことに不遇な時代であったような気がする。

世は高度成長の真只中、昭和元禄と呼ばれた好景気であった。どの企業も手不足で、健康な若者が職に不自由することはなかった。

大学に進んだ友人たちの多くは学生運動に参加していた。しかも、海の向こうではベトナム戦争がたけなわであった。

こうした時代に、自ら進んで自衛隊に志願する若者など、どう考えてもいるはずはなかった。

初任給1万5100円。この金額はいかに衣食住付きとはいえ、世間の5分の1か6分の1であったろう。むろんその給与も勝手に使えるわけではなかった。共済費や強制貯金などが天引きされて、手取りは九千円ほど。その金ですら班長が管理し、必要に応じて少額ずつ与えられた。

外出制限は厳しかった。6ヵ月の教育期間にほんの数回、それも行先、理由、行動予定、金銭の支出計画等を綿密に書いて許可を得、夜9時半の帰隊時間は、絶対厳守である。まさに「シンデレラ・リバティ」であった。

連隊長は陸軍士官学校卒、部内幹候の中隊長や古参の陸曹は旧軍からの叩き上げ、当然営内は殺伐とした「真空地帯」で、伝統の体罰主義も日常茶飯事であった。

要するに、駐屯地の中だけ時間の流れが止まっていたのである。

毎日の日課も、旧軍とあまり変わらない戦闘のための訓練に埋めつくされていた。銃剣術、徒手格闘術、持久走、射撃。白兵思想を基礎とした歩兵の訓練である。目的は人を殺すことであるから、同じ肉体の鍛練にしても、スポーツや武道のイメージとは程遠い。体力の劣る者、気力に欠ける者にとっては地獄のような毎日であった。

任期を満了した隊員は毎月除隊して行く。ということは、毎月おびただしい入隊者を募っていなければ、組織は維持できない。10名の戦闘班から、小隊、中隊、連隊、師団といったすべての戦闘単位は、定数が充足されて初めて機能するのである。

いったいあのころ、自衛隊はどうやって欠員の補充をしていたのであろう。一般社会からは監獄のように隔絶し、しかも待遇面においても実生活においても、別世界のような落差のあった自衛隊に若者を導き入れる苦労は、それこそ「戦争」だったのではあるまいか。

消灯の迫る夜更け、外出のできぬ新隊員は十円玉を借り集めて、駐屯地の端にある公衆電話まで走る。娑婆(しゃば)に残してきた恋人と、ほんの1分か2分の会話をかわすために。

携帯電話機はおろか、テレホンカードも、100円玉の入る電話機もない時代のことで、電話ボックスの前はいつも長蛇の列であった。

そんなときふと、世を捨ててきたつもりが実は、自分が世の中から見捨てられたのだと気付いたものだ。

すき好んで自衛官になった若者などいなかったのだから、彼らはみな定数を充足させるための犠牲者であった。

それでも社会は彼らのことを、「税金泥棒」と呼んだ。

シビリアン・コントロールという言葉は、耳にタコができるほど聞かされていた。

かつての帝国軍隊が犯した過ちをくり返さぬために、自衛隊は文官の力によって統制されているのだ、と。

それはいいことだと思った。戦争は最大の罪悪なのだから、まちがいや暴走のないように、良識ある文官が自衛隊を統制し統率するのは、理に適(かな)っていると思った。

私たちは戦争を知らなかった。日々の生活や訓練は、世界各国の軍隊とどこもちがわぬのだから、できれば軍人という名誉な肩書は欲しかったのだが、憲法がそれを許さぬのだから仕方ない。何だか認知されぬ鬼っ子のような気分であった。

だがそれでも、世間から「税金泥棒」などとは呼ばれたくなかった。

除隊してから四半世紀の時が流れた。その間、いったい何十万人の若者が「平和憲法の鬼っ子」に甘んじ、「税金泥棒」の譏(そし)りに耐えてきたのであろう。

そうした生き方が男子としていかに屈辱であるか、耐え難いものであるかは、経験者でなければわからない。

しかし、自衛隊は本当に「税金泥棒」をしてしまった。いや、後輩たちの名誉のために、そういう言い方はやめよう。

一流大学を出て、ネクタイをしめて、夏の暑さも冬の寒さも知らずに指揮官を気取っている役人が、「税金泥棒」をやった。消灯ラッパの淋しさも、物相飯(もっそうめし)の味も、背囊(はいのう)の重みすら知らぬやつが、である。

こんなシビリアン・コントロールなど、くそくらえだ。

自衛隊を本物の「税金泥棒」にした官僚たち

今もお題目を聞かされている後輩たちのために、多少の蘊蓄(うんちく)をたれることをお許し願いたい。少なくとも彼らには、知っておいて欲しい。

そもそもシビリアン・コントロールの思想と制度は、清教徒革命と名誉革命を経たイギリス、そして独立革命後のアメリカにおいて生まれたものである。その精神は尊い。

軍隊の存在は平和な国民生活の脅威となる可能性があるから、これをできうる限り非軍人の統制下に置いて、予算を縮小し、行動を制御しようとした。すなわち、最高指揮権者を非軍人とし、軍の機能を独立させずに行政府の中に置いた。

この形はいわゆるシビリアン・コントロールの基本である。しかしこの基本形のまま軍隊を完全に統制しうるのは、軍事技術が未発展であった19世紀までであった。

時代とともに軍隊は巨大化し、破壊力を増す。国が繁栄すれば、自然とそうなる。経済規模に比例した防衛力が必要だからである。

こうなると、軍隊を政治的に統制すること自体にさまざまの矛盾が生ずる。そこで、「実力を抑制する」よりも「強化しつつ管理する」ことが、シビリアン・コントロールの新しいスタイルになった。

ここに重大な問題が生まれた。

管理者としてのシビリアン、すなわちわが国でいうなら、防衛庁の役人や一部の議員に、権益が生じたのである。

現代の軍隊は「産軍複合体」と呼ばれ、軍事関連企業と密接な関係にある。その複合部分を、高級官僚と一部の議員が支配する結果になる。

法律や予算などで、いかに基本的なシビリアン・コントロールがなされたところで、軍事産業の意思と官僚の意思とで、軍事費を事実上私物化できるのである。

たぶん彼らは、こういう関係をずっと続けてきたのであろう。だから、ひとつが明るみに出れば、あわてて組織ぐるみの証拠隠滅を計ろうとする。

軍人をなめるな、と私は言いたい。いや、軍人と自称することもできぬ沈黙の兵士たちになりかわって言う。

私たち自衛官は、かくも長きにわたって「税金泥棒」の譏りに耐えてきたのである。国家の再興と発展のために、国民の何分の1かの給与と禁欲生活とに甘んじて、まさしく詔勅(しょうちよく)の文面通りに、耐え難きを耐えてきたのである。その結果が、このザマだ。

シビリアン・コントロールを笠に着た東大出の官僚どもが、自衛隊を本物の「税金泥棒」にしてしまった。

この稿を書いているとき、偶然かつての上官から葉書が届いた。在隊中の営内班長ドノである。誠に勝手ながら、その一部分を紹介させていただく。

「この度陸上自衛隊を定年退官致しました。昭和41年入隊以来、極めて恵まれ且つ充実した勤務ができましたことはひとえに皆様の御厚情の賜(たまもの)であり、厚く御礼申し上げます。32年の全力投球を終えました」

無能にして無思慮な役人は、この人さえも「税金泥棒」にした。50年の間いちども戦(いくさ)をせず、災害派遣の泥にまみれた「栄光の軍人」のすべてを、「税金泥棒」にした。

(初出/週刊現代1998年10月10日号)

 1998年、防衛庁調達実施本部が起こした背任事件が発覚した。防衛庁調達実施本部の装備品納入をめぐり、本部長と副本部長が結託し、過払い認分の返納額を恣意的に減額した。その見返りに、職員の天下り先を確保させるなどした癒着が問題視され、本部長と副本部長が東京地方検察庁特別捜査部に逮捕された。本部長は懲役3年執行猶予5年の有罪判決が確定した。副本部長は天下り先で得た顧問料が事後収賄罪に認定されて懲役4年追徴金838万5000円の実刑判決が確定した。

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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