まるで神の国でプレーしているよう
ゴルフ史編纂で知られるモントローズ卿、ゴードン卿の記述によると、1616年ごろ、早くもここではゲームが行われていた証拠もある。
要するに、市民広場の片隅で打球事故におびえながらプレーするセントアンドリュースとは段違い、地形、環境、威厳、どの部分を比較してもドーノックのほうが上だと、2人の卿は遠回しに表現する。これはスコットランドにあって、山ほどの勇気が要求される発言である。
最近ではトム・ワトソン、ベン・クレンショーが相次いで入会した。ワトソンはこう語っている。
「五大陸の中で最良のコースの一つ。私はドーノック以上のコースでプレーしたことがない。まさに自然が創造した最高傑作だ」
一方のべン・クレンショーは、プロの中でも屈指の学究肌、かつゲームの哲学部分を熱愛する男だけに、惚れ込み方も尋常ではない。
「早朝の霊光も神秘のひと言に尽きるが、とくに素晴らしいのが薄暮の時間だ。私は神の国でゴルフをしているように思う。ドーノックには、いまなおゴルフの『無垢』が息づいている」
コースの全長は6514ヤード、フロントティから6185ヤード、パー70である。今世紀初頭、「ゴルフ三巨人」の1人、ジョン・ヘンリー・テイラーが招かれて多少の改修が行われた。彼は丸1週間というもの、ただ黙々とコースを歩き回るだけだった。それから乾坤一擲、各ホールの1ヵ所だけに手を加えて立ち去った。ロジャー・ウェザレッドによると、彼の施術は名医のメスに似て切れ味鋭く、その瞬間からコース攻略が一層至難になった。
たとえば「サザーランド」の愛称を持つ12番ホール、507ヤード、パー5では、3打目のピッチショットに、
「煙が出るほどの急ブレーキ」
が要求される。さもないと、ボールはグリーン背後の深いラフに潜り込んでしまうのだ。あるいは「フォクシー」と呼ばれる14番、445ヤード、パー4では、第1打目に球足の長いドローボールを、2打目には弾道の高いフェードボールを放って、ようやく砲台グリーンに届く按配。まさにゴルフは自然との格闘技だと思い知らされる。もちろん、ここでは常に海風が強く吹きつけると覚悟しなければならない。
これほどの名コースが、なぜ全英オープンの会場に選ばれないのか、その理由は明快である。何しろ人口1000人に満たないドーノックの町まで、ロンドンから600マイルもの旅が強いられるのだ。
「遠すぎる。あまりに遠すぎる。だからこそ最後のリンクスでいられるのだろう」
ジョン・ヘンリー・テイラーの呟きが、いまだ聖域健在のすべてを物語っている。イギリス全土には2200ものコースがあるが、ドーノックの先には2つの荒涼たるリンクスが横たわるだけ、まさに北限の苛酷な楽園と呼ぶにふさわしい。
私はいま、1番ティから50ヤードしか離れていないロイヤル・ゴルフホテルの203号室にいる。この角部屋からはコースの全景と、彼方に広がるエンボ湾が一望されて絶景の極み。叶うものなら、死ぬまで動きたくない。
(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)
夏坂健
1936年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。