歴史グルメ・エッセイ「美食・大食家びっくり事典」

文豪は大食漢! セルバンデス、バルザックの大いなる食欲

ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧…

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ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案内人が、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集。第25話をお送りします。

ラ・マンチャの男が好んだ「腐った鍋」

男と生まれたからには盛大に食って盛大に仕事をする。余分に食べすぎたときは余分に女性を愛す。これが男の食の哲学なのだ。

食べるものは温かく、飲むものは冷たく、寝るのは柔らかく、立つのは固く――東アジアの諺――

なにかコトを成した人物をみると、彼らはほとんど例外なしに大食であった。

食べて飲んでライバルを倒し、女たちを失神させて、またすぐに食べはじめる。『三銃士』や『モンテ・クリスト伯』の大デュマはこういっている。

「人間は食べ物で生きるのではない。消化したもので生きるのだ」

まことにごもっとも。

ラ・マンチャの男『ドン・キホーテ』を書いたミゲール・デ・セルバンテスも大食漢で、作品の中にしばしば食事の光景を登場させ、ドン・キホーテにも自分の大好物を食べさせている。

それはありとあらゆる肉と野菜と卵を一つの鍋に入れて長い時間煮込んだもので、名称はオジャ・ポドリーダ(olla podrida)。訳すと「腐った鍋」(スペイン語のオジャが、日本語の“おじや”に転じて、ごちゃごちゃに煮る意になったという説もある)。

このセルバンテスもこういっている。

「腹が足を支えている。足が腹を支えているのではない」

男らしい男は食ベるのである。

ところが近ごろでは栄養学が発達して、やれ塩分に糖分、脂肪にコレステロールと騒ぎ立てるので、働き盛りの男がそろって食事らしい食事をとらなくなってしまった。

使わない臓器は衰弱する。胃に自信がなくなって、陰気、無気力、脱力感、イライラ、インポテンツの多いこと目を覆うばかりだ。食わない男に何がやれる?

食べる男はいい仕事をするの見本

たとえば1日に100杯のコーヒーを飲みながら、同時に5つの小説を立ったまま書いた『人間喜劇』のバルザックは、すさまじいばかりの健啖家だった。

ある日バルザックは、出版社の社長ウェルデをお気に入りのレストラン《ヴェリー》に招待した。そのとき出されたメニューが今でも残っているが、ウェルデはひどい胃痛に苦しんでいて、ポタージュとしゃこ(尾の短いキジ科の鳥)の脇腹肉1個しか食べなかった。つまりほとんどがバルザック1人で食べたものである。

〇オスタンド産のカキ 100個

〇ノルマンディ地方の海岸育ちの若羊の背肉 12個

〇かぶら添えの子鴨 1羽

〇しゃこの脇腹肉 2個

〇平目 1匹

〇スープ 2種類

〇オードヴル大盛 1皿

〇梨 12個

これに4、5本のぶどう酒、野菜、数種類のリキュール、そして10杯のコーヒー。

ところが招待したのはバルザックなのに、店の勘定は胃痛に苦しむウェルデが払ったというからおもしろい。

一夜の食事にこれだけのものをペロリと平らげたバルザックは、生涯莫大な作品を書き続け、次々と艶聞を巻き起こしている。これもまた、食べる男はいい仕事をするの見本である。

反対に食の細い男は、どことなく気が許せないような、ウサン臭いような……。

(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)

『美食・大食家びっくり事典』夏坂健(講談社)

夏坂健

1936(昭和9)年、横浜市生まれ。2000(平成12)年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。

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