誠実そうな若者のひと言に指が止まった
金屛風を背にして椅子に座ったとたん、私の含羞は極限に達した。
顔面は少年のごとく紅潮し、額というより頭全体から淋漓(りんり)たる汗がほとばしり出た。いっそこのまま玄関から遁走(とんそう)しちまうかとも企てたが、あとさきのことを考えて思いとどまった。
一瞬呼吸が荒くなり、へたをするとかの箱根山事件(過労性過呼吸症のため箱根の旅館から救急車で運ばれたといういまわしい出来事→詳しくはこちら)の二の舞かと思った。
照れるな、落ちつけ、と自らを励ますそばから、どこで聞いたか知らんが関係各社の編集者がゾロゾロとやってきて、祝福の言葉をかけたり、花束を贈呈したりするのであった。
ちなみに顔ぶれはというと、K社のO氏(受注三年前・現状ゲラ遅滞中)、S社のC女史(二年前に受注後、仕事もせず酒食に招かれることしばしば・締切ついに来週)、F社のH女史(受注二年前・やっとこさ連載開始にこぎつけたが第一回目のゲラ紛失、パニック中)、A新聞社のO氏(いつだか忘れたけど歴史的過去に受注・ときどき夢枕に立つ人)──という方々であった。
含羞とともにさらなるプレッシャーがかかったのは言うまでもない。
まことに信じ難いことだが、「整理券」を配布された行列は3階までつながっているという。私はめぐり来る読者の顔をなるたけ見ず、ただひたすら己れの名を書き続けた。
含羞どころではなかった。羞しくて羞しくて、死んでしまいたい気分であった。
お客様はわが著書を買い、行列をし、金屛風の前の私とさし向かいに座る。
ああこの人はすでに私の本を何冊も読んでいるのであろうか。もしかしたら週刊現代も読んでいて、「箱根山事件」とか「京都大学フン詰まり事件」とか「東京湾フェリー立ちゲロ事件」とかも知っており、しみじみと私の62センチの禿頭や23・5センチの小足を鑑賞しているのではないかと思うと、顔を上げることすらできなかった。
ともかく早く終わらせたい一心で、私は疾駆する馬のごとくサインを続けた。しかし当然のことながら、お客様は著者の含羞など少しも理解してはくれない。サインを終えて本を手渡すとき、みなさん必ずジイッと私の顔を見つめるのであった。
そのうち、ひとつの声が私の耳に届いた。
「がんばって下さい。応援してますから」
ふと指先が止まった。見上げれば誠実そうな若者であった。
私はようやく思い至ったのである。含羞などと言っている場合ではない。この人たちはみな私の小説を読み、かつ購(あがな)い、さらなる次回作を期待しているのだ、と。
少くとも、喝采に対して胸を張れない男は卑怯者である。初めてのサイン会で、私はそのことを知った。
(初出/週刊現代1996年3月30日号)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。