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ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案内人が、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集。第31話をお送りします。

一日一食! トマト一個で済ませたことも

♣とにかく人類は、ずっこけながらも食卓とベッドを行ったりきたりして、どうやらここまで生きのびてきたという次第さ――アンリ・ロベール――

古今の文学者たちの食卓にスポットを当ててみると、陰陽がかなり極端なことに気づくのである。トルストイや、これから紹介するバイロンのような【禁欲派】と、一方にはヴィクトル・ユゴーやデュマ、バルザック、ゴーティエ、アナトール・フランスらを筆頭とする【快楽派】がいる。

食は感性の表現の一つだから、無神経な人は空腹がいやされればそれでよしとする。反対に芸術家肌の人たちにとっては、食は味覚だけにとどまらず、ゆるがせにできない純粋な生への渇望と表現になるようである。

【禁欲派】の中でも、不世出の天才詩人バイロンの生きざまは陰気である。

彼はイギリスの男爵位の貴族で、1824年、36歳の若さでギリシャの独立運動に参加して客死するのだが、もしギリシャで殺されなかったとしても、そう長くは生きなかったと証言する人が多い。

それというのも、バイロンは一時80キロあった体重を減食で45キロまで落としてしまったため、風の強い日には絶対に家から外に出なかった。

彼は一日一食主義をつらぬいた。その一食も、ある日はトマト1個で済ませたし、次の日はビスケットがたったの2枚という具合だった。友人たちは、

「ニワトリよりも少食な男だった」

といっている。いつも餓死寸前の状態で生きていたのである。

彼が作詩以上に痩せることに情熱を賭けた理由は、母親への復讐だった。バイロンは生まれつき足が不自由だったが、醜く太っている上に無神経だった彼の母親は、ことあるごとに白い眼で足を見つめ、それから長嘆息して、

「本当にお前は呪われた子だよ」

というのが口ぐせだった。バイロンは終生肥満した母親を憎み続けた。瘦せることもその反発の一つだったのだろう。

それにしてもトリのエサ以下の食事量で青春時代を生きたことは奇跡的ともいえる。そういえば亡くなった詩人の金子光晴は、本当に腹が減りすぎてしまうと、頭が氷のようにキーンと澄みわたるものだといっていたが、バイロンの詩の卓抜した秘密も案外こんなところにあったのかもしれない。

(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)

『美食・大食家びっくり事典』夏坂健(講談社)

夏坂健

1936(昭和9)年、横浜市生まれ。2000(平成12)年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。

Adobe Stock(トップ画像:mnimage@Adobe Stock)

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おとなの週末Web編集部 今井
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