「ハゲ」を醜悪なものとする理由はあると食い下がったが……
再び、怒りの返信。
「ハゲの可逆性、すなわちカツラの矯正力については百歩譲って了解する。しかし、貴兄の相対性理論には納得が行かない。
まず、小説現代新年号の〈初春大句会〉を見よ。同年配の男性作家が4名参加しているが、小林恭二氏、薄井ゆうじ氏は全然ハゲてはおらず、一見ハゲに見える花村萬月氏は人為的スキンヘッドである。すなわち、私ひとりが絶対的ハゲである。
次に、小説宝石新年号巻頭カラーグラビアを見よ。光文社の悪意により、いきなり私のハゲ姿が掲載されている。アップである。カラーである。長い1年の第1ページを飾るハゲである。以下のページを繰れば私のハゲの絶対性は明らかであろう。年下の鈴木光司氏、鈴木輝一郎氏はまあまだ不確定の未来があるにせよ、私より年長の小嵐九八郎氏はみごとな頭髪を保っておられるではないか。
すなわち、ハゲは決して相対的現象ではなく、貴兄が相対的だと誤解しているのは、ハゲかかったほんの一時期の印象のことである。そんなものはハゲでも何でもない。ほとんど経過を顧(かえりみ)る間もなく、一気に来るのがまことのハゲである。しかも、たび重なるグラビア進出によりハゲ姿を全国読者にあまねく公開してしまった私は、カツラをかぶるという矯正の機会すらすでに失われてしまった。
以上、動かざる物的証拠により、貴兄の主張する相対性理論は全く説得力に欠ける」
さしもの論客も抗弁を失ったようであった。しかし、ついに恨み重なる団塊世代を屈服させたと、勝利のコーヒーに酔いしれる間もなく、約30分後にファックスが送られてきた。
「拝復。ご説ごもっともと感服いたしました。しかし、もしや先生は必要以上にハゲを醜いものと思ってらっしゃるのではありませんか?
ただいまご指摘の両誌をじっくりと観察いたしましたが、なかなかどうして、みごとなハゲッぷりです。どこからどう見ても、これは欠陥ではなく、個性であります。どうかささいなことなどお気になさらず、ご活躍下さい」
論争に敗れたとき、全共闘世代はしばしばこういう手を使う。決して敗北を認めず、スルリと話頭を転じて逃げるのである。「みごとなハゲッぷりです」などというフレーズは、ほとんど捨てゼリフに近い。
私は食いさがる感じで返事を送った。
「勝手に議論をやめるな。私はたしかに必要以上のコンプレックスを抱いているのかもしれない。しかし、ハゲを醜悪なものとする理由はある。
世の中には瘦せた女性より豊満な女性を好むという男は数多い。かくいう私もデブフェチのひとりである。力士は女にモテる。ブスについては蓼(たで)食う虫も好き好きという言葉があって、よほど決定的なブスでない限りは縁遠いということはない。むしろ美女の方が良縁に恵まれぬことぐらい、編集部をぐるりと見回してもわかるであろう。チビはチビなりに可愛い。ナポレオンはチビであったが、天は往々にしてチビに特異な能力を授ける。
だがしかし、ハゲにはその美的欠陥を補う能力が、何ひとつとして与えられてはいない。俗にハゲは絶倫という説があるが、わが身に照らして思えばそれすら迷信である。なにしろ、毛髪という本来人間にあるべき身体の一部がないのである。私はかつて、デブフェチの女を知っている。小さい人が好き、という女も知っている。美女がしばしば醜男とデキるのは周知の事実である。しかし、ハゲが好き、という女にはついぞ出会ったためしがない。
しかも、こと恋愛に関してのみならず、現実の生活においてもハゲは不自由なのである。獅子のごとき貴兄にはわかりはすまいが、ハゲは炎天下には暑くてたまらず、冬はことさら寒い。何かの拍子にちょっと頭をぶつけても、たちまち皮膚がさけて血が出るのである。
このように重大なハゲである私に向かって、みごとなハゲッぷりですはないだろう。すみやかに前言の撤回を要求する。重ねて言う。美しいハゲなどいない。健(すこ)やかなハゲもいない。ハゲで得をしたことなど、パーティの人探しのとき以外はない。しかも場合によっては、これすら損なのだ」
と、殴り書きのファックスを送りつけてしまってから、私はふと気付いた。
たしかに私は、どのように混雑したパーティの席でも、簡単に見つかってしまう。原稿遅滞の折から、得より損が多いのである。そして実は──件(くだん)の編集者こそ私が最も不義理をしている人物ではなかったか。
彼に書き下ろしの原稿を依頼されたのは3年も前の話で、仕事はただの1行もしないうちにたびたびタダ飯をごちそうになり、妙に親しくなってしまったのであった。
年末のクソ忙しいさなか、彼はいったいどんな気持ちで身勝手な男のファックスを読み、返事をしたためているのであろうと思った。
「ご多忙中のところ、お手数をおかけしました。明くる年は必ずお約束を果たします」
と、素直な気持ちを書いて送ろうとしたところ、着信のピー音が鳴った。
いかにも全共闘ふうの、アジ看板のような太書きのマジックで、こう書いてあった。
「ハゲましておめでとうございます」
つまらぬシャレだが、怒る気にはなれない。
(初出/週刊現代1996年1月20日号)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。