バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。
この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第89回は、「論争について」。
「ハゲ」は不可逆的宿命か否か
人間の身体的欠陥を活字にする、もしくは電波を通じて語ることは、今日タブーとされている。いわゆる「差別的表現」というやつである。
ただし、どれを可としどれを不可とするかという基準は曖昧であるから、われわれは出版各社のそれぞれに異なる基準をいちおう頭に入れたうえで原稿を書かねばならない。良識とはまことに不自由なものだと痛感する。
ところで、近ごろふしぎに思うのだが、「デブ」「ブス」「ハゲ」「チビ」等の言葉は、なにゆえこの基準から洩れているのであろう。いずれも明らかかつ重大な身体的欠陥であり、十分に差別的であると思うのだが、これらについては鬼のような校閲人から指摘されたというためしがない。
過日ふと思い立って、差別的表現のエキスパートと覚しき編集者にこのむね問い糺(ただ)したところ、極めて断定的な回答がファックスされてきた。
「これらの現象は欠陥というより、むしろ個性というべきであり、自由な表現によって各人が傷つくほどのものではありません」
日ごろ「ハゲ」という表現によっていたく傷ついている私は、この回答に激怒し、たちまち殴り書きのファックスを打ち返した。
「貴兄の判断には疑問を感ずる。ハゲを個性であると断定するのは、ハゲていない貴兄の客観であって、ハゲである私の主観によればハゲは明らかに差別的表現である。ハゲを個性と断ずる合理的理由をさらに説明されたい」
年末進行の忙中にも拘(かかわ)らず、筆マメな編集者はわずか数分後にファックスを送り返してきた。
「どうかお気を悪くなさらず。小生の思うところ、デブ、ブス、ハゲ、チビ、等は必ずしも不可逆的宿命ではありません。あえて合理的理由を述べるとするなら、そういうことです」
おおっ、言ってくれるじゃねえか。私はとっさに受話器を取ったが、思い直して異議を紙に書いた。電話で話せばまちがいなく論争になる。
「拝復。さらなる疑問を申し上げる。デブについてはたしかにダイエットという矯正手段があるが、ブス、ハゲ、チビ等は明らかに不可逆的な現象である。貴兄はいったい何の根拠を以てこれらまで不可逆的宿命ではないと断定なされるのか」
この疑義には多少の思考時間が必要であったとみえて、約15分後に回答が寄せられた。
「お答えいたします。デブにダイエットという方法があるごとく、ブスには化粧、チビにはハイヒール、ハゲにはカツラという矯正手段があります。したがってこれらはすべて、不可逆的な不幸ではありません。
加えて思うに、これらは決して絶対的欠陥ではなく、他人に較べて相対的にこうである、という現象に過ぎません。小生は差別的用語の選択にあたり、この絶対的か相対的かという点を最も重視するものであります」
さすがは団塊の論客である。どうも全共闘世代というやつばらは、ろくに学問もせずに論争ばかりしていたせいか、言い争いになると達者なのである。
私の胸に、かつてさまざまの職場で3つ4つ年長の上司にいつも抗(あらが)う術(すべ)もなく言い負かされてきた屈辱が甦った。