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中国料理の原型ができたのはモンゴル人が支配した時代

おもしろいことに、篠田氏をはじめ碩学の諸氏のものを拝見していると、やはりこの国の気が遠くなるほどの悠久と広大と複雑怪奇にあきれかえって、どちら様も目がウロンとなっているらしい気配が濃厚なのである。

とにかく紀元前数百年以来、群雄割拠して攻め合いの日夜。あれだけの戦さをした連中だから、そのエネルギー源である食生活もさぞかしと想像しながら調べていくと、大将から一兵卒までアワとヒエを主食に、犬の肉をしゃぶったりしている。で、目がウロンとなる。

別な方面から歴史をたどった学者は、むかしの戦さでは勝者が敗者の部族の女たちを根こそぎ捕獲してきて、大将ともなれば二百人ぐらいの性的奴隷を私有していた、とか、一夜に十人の女を妊娠させた、という古文書までたどりつく。そこで、その絶リン大将はいったい何を食べていたのかを調べてみると、ここでもアワとヒエを主食に、犬の肉をしゃぶったりしている。そこでまたまた目がウロンとなるわけである。

そんなこんなで、中国の食を語るためには歴史のどこかで線を一本引かないことには始まらないのである。いまの中国料理に近いものが揃いはじめるのが13世紀、「元」の時代だから、西周、秦、漢、唐、宋はひとまとめにしてカマドの向こうに置いといて、ただ歴史的に見た場合、古代ギリシャ人が調理法として「焼く」の一種類しか方法を知らなかった同じころ、中国人は「焼く」に加えて「煮る」ことを大いに行っていた事実だけは知っておくべきだろう。

このことは、単純に料理の方法が一つだけ多いという意味ではない。「煮る」は、まず鍋や食器を発達させたし、いろいろな材料を複合混成して無限の味を作り出すきっかけにもなったはずだ。また物を煮ることでスープという味覚の一部門まで誕生させたことになる。

「元」で線引きした場合、わが国でも根強い人気を持っている成吉思汗(鉄木真)がはみ出してしまうことになるが、この蒙古の大英雄は、蒼い狼を父に、白い鹿を母に生まれたという伝説のわりには、食についてのエピソードが見当たらない。この時代は羊を焼いて食べるのが一般的だったから、

「成吉思汗はジンギスカン鍋を食べていた」

と考えるのが正解だろうと、そう思われるのである。

(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)

『美食・大食家びっくり事典』夏坂健(講談社)

夏坂健

1934(昭和9)年、横浜市生まれ。2000(平成12)年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。

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Adobe Stock(トップ画像:L.tom@Adobe Stock)

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おとなの週末Web編集部 今井
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