ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案内人が、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集。第44話をお送りします。
人は誰でも飲んだり食べたりしているがその飲食の真の味わいを知っている人は少ない――孔子――
食道楽の中国人にも3つの例外はあった
ご存知の『食在広州(食は広州に在り)』には、次のような副題がついている。
『四つ足は机以外、空飛ぶものは飛行機以外、二本足は両親以外、なんでも食べます』
つまり、すさまじい胃袋にだって3つぐらい例外がありますといっているのだ。
だが、スローガンを丸ごと信じちゃいけないことは、われわれが第二次世界大戦で学んだ教訓の一つだ。
とくに中国と中国人に関わる話になると、どこかしらで一歩さがって、冷静、微笑、謙虚、揶揄の一滴で味を調えたところがあるから、連中にもニガ手があるという建て前論をウ吞みにするのは感心できない。なにしろ、
『朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり』
といった凄味のある知性に加えて、秀才がインキンの手入れをしているような、妙におかしな隠し味を持った民族なのである。悠々茫々にだまされてはいけない。
およそ何でも食べてしまう行為の背景には、飢餓に対する恐怖が存在する。本当に飢えたことがない人には、飢えの苦しみは理解できない。
飢えが満たされると、次には味覚が追求される。『食在広州』を味覚道楽の看板にすぎないと思い込んでいると、ここでもまた彼らの術中にはまることになるのだが、まず論より証拠、一つの反証をご紹介しよう。