第ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案内人が、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集。第43話をお送りします。
飽食終日、心を用うる所なきは、難いかな=日がな腹のことばかり考えて、心を労するすべを忘れたお人は、救い難い――陽貨――
中国人が毎朝寝起きにつぶやく「七件事」とは!?
食いしんぼうの中国人は、朝のけだるく物憂い目覚めのひととき、布団の中でよく次のようにつぶやくのだそうである。
「早晨起来七件事、柴 米油塩醬醋茶」(起きたらすぐに7つのものが入用だ。薪に米に油に塩に味噌に酢に、お茶だ)
熟れた身体がとろけそうな寝起きのうつらうつらの中で、まずこの『七件事』を口にするというところが立派というか、さすがというべきか。いつもながら食に対する真摯な姿勢には敬服、脱帽して道をゆずるばかりだ。
中国の人々が毎朝これだけの心構えを復唱しながら床を離れるのに対して、われら大和民族はいかがかと問えば、寛政年間の耆山和尚曰く、
「百が味噌、二百がたき木、二朱が米、一分自慢の年の暮れかな」
この思想を私たちは長いあいだ、日常生活のお手本にしてきた。つまり大晦日でさえ百文の味噌と二百文の薪、二朱の米(一斗ぐらい)と五千円ほどのお金があれば、それで年越しは十分だというのである。『七件事』の民族と比べてみると、そのつましさは涙ぐましいばかりで比較にもならない。
世界の美食大食家の舞台を中国に求めてみると、このはるか悠久の国の4000余年はとてつもないもので、無数の野心家が国を造ったり滅ぼしたり、さまざまな部族が膨脹したかと思うと四分五裂の騒ぎをとめどなくくり返し、その流血が4000年も連綿と続くのだから、ついには書物を放り出して遠くの雲を眺め、肩で深く息をするばかりである。
これまでにも数多くの人たちが、べら棒なこの国の歴史をよりわけ、かきわけしながら食史に取り組んできている。
古くは幸田露伴の『蝸牛庵聯語』にはじまって、青木正児、田中静一、秋田成明、木村重、北村四郎らの諸氏が、それぞれ名著労作をものされて、後学の徒は大いに助けられている。
とりわけ篠田統氏が40年の歳月をかけて著した『中国食物史』(柴田書店刊)は、もう凄いとしかいいようのない研究書で、さきの『七件事』も文中から引用させていただいたものだが、こと中国の食史となると、どうしても篠田氏の孫引きになってしまうケースが多いのは致し方ないのである。それほど研究の手が細部に届いている。