初代セルボはフロンテクーペの進化版
日本独自のカテゴリーである軽自動車は細かく規定変更されてきたが、1975年(昭和50年)に全長3.20(3.00)m、全幅1.40(1.39)m、排気量550(360)ccとなったのがトピック。カッコ内の数字は旧規定で、全長で20cm、全幅で10cmボディが大型化され、排気量の上限が360ccから550ccにアップされた。
1977年デビューの初代セルボも当然ながら新規格のボディ、エンジンが与えられた。実際に全長3190×全幅1395×全高1210mmのほぼ新規定いっぱいのボディサイズは、全長2995×全幅1295×全高1200mmのフロンテよりも大型化されている。
基本デザインはジウジアーロがデザインしたフロンテクーペを踏襲しているが、各所に変更が加えられている。なかでも、全幅が100mm広くなったことで数字以上にワイド感が強調されている点は特筆だ。フロンテクーペでは角型ヘッドライトだったが、初代セルボは丸型ヘッドランプとなり、フロントグリル埋め込みタイプのフォグランプによりフロントマスクのイメージはかなり違う。フェンダーミラーはフロンテクーペが穴あきのステーを採用するなど凝っていたのに対し、初代セルボはよく言えばシンプルだが、コストダウンされていた。
リアに目を移すと、デザインは基本的に同じながら初代セルボのリアコンビはバックランプを内蔵するなど進化。そしてフロンテではめ殺しだったリアウィンドウは初代セルボではガラスハッチの採用により開閉可能となり利便性を高めていた点も大きな違いだ。
あと、フロンテクーペはデビュー時に2シーターの2人乗りで後に2+2の4人乗りに変更。そのリアシートは狭く補助的だったのに対し、初代セルボはホイールベース(前輪の中心と後輪の中心の長さ)が延長されたこともあり、リアシートの居住スペースは大幅に改善された。
初代セルボが登場した1977年といえば、軽自動車革命も一段落し、各メーカーの最大の開発テーマは排ガス規制への適合となっていたなか、初代セルボの直列3気筒の2ストロークエンジンは、排気量を539ccにアップして新開発されたもので、昭和53年(1978年)排ガス規制をクリア。
エンジンスペックはフロンテクーペが37ps/4.2kgmのハイスペックがウリだったのに対し、初代セルボは28ps/5.3kgmとパワーダウンしているが排気量増によるトルクアップで街中での扱いやすさを手に入れた。
駆動方式は、フロンテクーペを踏襲するRRレイアウトで、トランスミッションは4速MT(マニュアルトランスミッション)のみ。
小学校の先生が初代セルボを買って妙に意識
ここまで読んでいただければ、初代セルボはデザインこそフロンテクーペを踏襲しているが、キャラクターは大きく違うことがおわかりだと思う。そう、フロンテクーペはスポーティで硬派でとんがっていたのに対し、初代セルボは実用性を重視とずいぶん丸くなった。
当時のリリースを読み返すと、初代セルボのターゲットユーザーは女性とヤングファミリーをターゲットにしていると明記している。デビュー時のキャッチコピーは、『愛らしく、小粋に。』というもので、イメージキャラクターには初代ミスアメリカで、日本で女優・モデル活動をしていたダイアン・マーチンを起用し、オシャレな軽自動車であることをアピールしていた。
初代セルボがデビューした時に私は小学生だったが、私の地元でもよく見かけた。やはり買っていたのは女性だった。
女性をターゲットにした軽自動車なのに、トランスミッションは4速MTのみ? と若い人は疑問に思うだろうが、自動変速のAT(オートマチックトランスミッション)が一般に普及し始めたのは1980年代以降で、クルマ=MTが当たり前だった。スズキは1980年に2速ATをアルト、フロンテには設定したが、セルボは見送り2代目で初設定。まぁATがあったとしても、2速ATじゃ坂道を登らないしタルいのでMTを選ぶ女性も多かった。
近所のお姉さんも買っていたが鮮烈に覚えているのは、私の小学校で一番若く美人だった”マドンナ先生”が初代セルボを新車で買ったことだ。赤が好きだったその先生は、当然イメージカラーの赤いセルボ。田舎の学校ゆえ、先生のほとんどはクルマまたはバイクで通勤していたが、マドンナ先生+初代セルボは、少々恥ずかしい表現ながら、見るだけで胸がキュンとした。その先生が担任のクラスの生徒は放課後にクルマに座らせてもらったりしていたのがそうじゃない私からすれば羨ましくて羨ましくて、自分の担任じゃないことを恨んだ。そんな鬱積した気持ちがあったからか、しばらくは街中で見かけるセルボを過剰なまでに意識していたように思う。