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バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。
この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第101回は、「暴言について」。

「売れない作家」がパニクった初の快挙

このところオーバーワークのうえ、おりからのオウム報道のとりことなって寝不足である。

さる明け方、睡魔に襲われてコーヒーを淹れ、さあてオウムはどうなったかな、と朝刊を開いた。とたんにブッとんだ。

オウムどころではない。天下の読売新聞にデカデカと拙著「地下鉄(メトロ)に乗って」の広告が掲載されているではないか。デカい。余りにもデカい。とっさに、もしやシドニー・シェルダンが同名の小説を書いたんじゃあるめえな、と思ったほどだ。

元来、私の著作はごくささやかな一行広告とともに書店の店頭に並び、ものの2週間後にはしめやかに消えてなくなることになっていた。

コーヒーには覚醒剤ほどの即効性はないので、こういうときはパニクる。何でも浅田次郎という作家が吉川英治文学賞新人賞を貰って大増刷出来(しゅったい)ということである。で、そのうちやっとコーヒーが効いてきて、浅田次郎がてめえであると気付いたのち、家族を叩き起こした。

わが家には「亭主の書いた小説は必ず初版ポッキリで終る」「父は売れない小説家である」「ムスコはなかなか改心しない」等の、長い歴史に裏付けられた認識があるので、版元が肚をくくった巨大広告を見たとたん、家族は等しく驚愕をあらわにした。家人の顔にはドロドロとスダレがかかり、娘の目は点になり、母は心臓の具合が悪くなってニトロをなめた。

驚愕は数日後にも再び訪れた。徳間書店の担当編集者シバタ君から電話があり、地下鉄の中吊り広告が出とるので、一緒に見に行きましょうと言う。かつて電車の中吊り広告のわが名といえば、「馬券師浅田次郎の桜花賞いてまえ予想」などという週刊誌の見出しに限られていたから、半信半疑で出かけた。

ところが、新宿から乗り込んだ地下鉄丸ノ内線の車内には、またしてもシドニー・シェルダンのごとき一枚広告が吊り下がっていた。しかも怖ろしいことには、かの高村薫先生の「照柿」の広告のごときわがモノクロ肖像写真が添えられているではないか。

恥ずかしい。嬉しいけど恥ずかしい。快哉を叫ぶシバタは私が見かけによらずシャイであることを知らない。恥ずかしがりながら何でもやってしまうという特技もあるが、ともかくシャイなのである。

で、ひとめ見たとたんに恥ずかしさで死にたくなり、新宿三丁目で降りようとしたのだけれど、世にも珍しき体育会系編集者であるシバタは、尻ごみする私の腕を掴んで車中を歩き出すのであった。

シバタは剛毅朴訥仁(ごうきぼくとつじん)の如き好漢である。一緒にこさえた本がついに日の目を見たのであるから、そりゃ嬉しいだろう。しかし何も使い捨てカメラのフラッシュを焚いて、記念写真まで撮ることはなかろう。と、思いつつも、照れに照れながら広告の下でVサインを出してしまう私であった。

当然のことながら、乗客は胡乱(うろん)な目付きで私たちを見た。車両を次々と移動し、そのつどポーズを決めてフラッシュを焚けば、人々はギョッと腰を浮かせるのであった。私たちはいずれ劣らぬ怪しげな人相をしており、ともにデカい原稿カバンを提げているのであった。

赤坂見附のホームに降りて、おりから罪もない地下鉄の乗客を怯えさせた責任を、あらためて痛感した次第である。

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おとなの週末Web編集部 今井
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