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パリ・ダカで日本人初優勝!!

1997年のパリ・ダカで激走する篠塚さん。チームメイトとの熾烈なバトルを制し念願の初優勝!!

話を篠塚さんに戻そう。三菱はパリ・ダカで初代パジェロベースのラリーマシンを進化させプジョー、シトロエンと激戦を繰り広げていたが、1991年に2代目パジェロベースのプロトタイプマシンにチェンジ。2代目パジェロをあの手この手で進化させ続けた。

そして1997年に篠塚さんはパリ・ダカで念願の初優勝を飾った。パリ・ダカへの挑戦を始めて12年目でつかんだ栄光だった。パリ・ダカで総合優勝した初の日本人ドライバーとして名を刻んだ。

優勝できないのかもと弱気になったこともあるという篠塚さん。篠塚さんのパリ・ダカ初優勝は三菱ファンだけでなくクルマファンを喜ばせた

 自動車雑誌『ベストカー』の取材などで篠塚さんにお会いする機会は結構あった。経営されているペンションの『La VERDURA』(山梨県・北杜市)にお邪魔したこともある。篠塚さんは仕事の時もプライベートの時も、常にゆっくりと言葉を吟味して穏やかに喋る。

優勝したことに対するコメントを伺った時も、「これまで勝てそうで勝てなかった。悔しいという気持ちがなかったと言ったら噓になるが、それよりもよく頑張った、また次頑張ろうと自らを激励してきた。その一方でもう勝てないんじゃないか、と思うこともあったので、優勝できたのはとてもうれしい」と、いつもどおりゆっくりと穏やかに語ってくれた。 

篠塚さんは、その後も三菱&パジェロでパリ・ダカへの参戦を続けてが、2002年シーズン後に三菱を退社された。

篠塚さんのご自宅のラリー部屋の一角にパリ・ダカでの優勝トロフィなど栄光の品々が飾られている

WRCでも日本人初優勝

前述のとおり1986年のパリ・ダカの参戦によりラリーに復帰した篠塚さんだが、1988年にアジアパシフィックラリー選手権(APRC)の初代チャンピオンに輝いたのをはじめ、世界ラリー選手権(WRC)でも活躍。

1991年にWRCアイボリーコースとラリーで総合優勝。この優勝はWRCでの日本人初の快挙として大きく報道された。翌年のアイボリーコーストラリーでも優勝し2連勝。現在TOYOTA GAZOO Racingのワールドラリーチームで勝田貴元選手が活躍していて、篠塚さんに続くWRCウィナーへの期待感が高まっている。

APRC、WRCで篠塚さんが勝った時のマシンはギャランVR-4で、ランサーエボリューションの原型となったクルマだ。4WDターボ、4WS(四輪操舵)を備えた先進性で当時も大人気だったスポーツセダンだ。

ギャランVR-4は三菱の主力セダンのギャランをベースにラリーで勝つための技術が惜しげもなく投入された

ザっと篠塚さんがラリーで使った縁の深いクルマについて振り返ってみたが、三菱が誇ったランサーエボリューションの開発にも篠塚さんは携わっていた。自らランサーエボリューションでラリーにも参戦したし、退社するまで社員ドライバーとして開発、宣伝などこなし魅力をアピールしていた。

その後はソーラーカーレース、クラシックラリーなど母校の東海大学のほか、東京大学の学生とのモータースポーツにおけるコラボレーションも積極的に展開。何よりも生涯現役を貫いたことが凄い。篠塚さんのラリー界だけでなくモータースポーツ界への貢献は計り知れないものがある。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

母校である東海大学のソーラーカープロジェクトの発表会での篠塚さん。ドライバーとして学生たちをけん引

【2代目パジェロミッドルーフワイドVR主要諸元】
全長4650×全幅1785×全高1870mm
ホイールベース:2725mm
車重:1970kg
エンジン:2972cc、V型6気筒SOHC
最高出力:155ps/5000rpm
最大トルク:24.0kgm/3000rpm
価格:298万3000円(5MT)

【豆知識】
ギャランVR-4は1987年10月デビュー。VR-4は三菱の主力セダンのギャランのトップグレードで、WRCに参戦するために開発されたモデルだった。2Lターボエンジンを搭載し、駆動方式は4WD、後輪が操舵する4WSも装備していた。常に進化を続けたのも競技ベース車の宿命で、エンジンはデビュー時の205psから最終的には240psまでパワーアップ。ランサーエボリューションは、ギャランVR-4があったから存在するとも言われる三菱にとって重要な意味を持つクルマだ。現在もタマ数は多くないが中古マーケットにも流通していて中古価格は高騰中。

ギャランVR-4は動力性能を売りにしたスポーツセダンだが、逆スラントノーズ、ボディサイドがSの字の形状になるなどデザインも優れていた

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/MITSUBISHI、ベストカー、ベストカーWeb

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市原 信幸
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