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当時特別な存在の3ナンバー専用ボディ

話をシーマに戻そう。シーマは全長4890×全幅1770×全高1380mmの全車3ナンバーサイズとなる立派なボディが与えられていた。セドリック/グロリアも洗練されたデザインとなっていたがベースながら、伸びやかなフォルム、フラッシュサーフェイス化(極力段差をなくしたボディデザイン)された滑らかな面構成などセドリック/グロリアとは次元の違う高級感を纏っていた。

滑らかな曲面で構成されていてエレガント。当時は窓枠のない4ドアハードトップが大人気で初代シーマも採用していた

セダンよりもクーペが好きだった私から見ても、「最初から3ナンバー専用としてデザインされたシーマのデザインは凄い」と思った。タイヤがボディ内側に引っ込んでいるのを除けば……。

現代に通じる高級感のあるインテリアも初代シーマの売りだった

お金持ちの虚栄心をくすぐった

初代シーマは快適装備にもこだわっていて、特筆は自動車電話。携帯電話が普及した今では想像もつかないかもしれないが、移動しながら電話するなんて高嶺の花。自動車電話は補償金20万円、加入料8万円、月々の基本料金が3万円で、通話料は6秒10円!! ということもありお金持ちのステイタスになっていた。

お金持ちの象徴となっていた自動車電話をディーラーオプションで設定

日産はそれを見越して初代シーマにハンズフリータイプの自動車電話をディーラーオプションとして用意していた。自動車電話を搭載しているシーマは、受信用の黒いTLアンテナと呼ばれる無線アンテナをトランクに誇らしげに装着していた。

スポーツカーに匹敵する強烈な加速

初代シーマを語るうえで欠かせないのが圧倒的な動力性能、加速性能だ。それを生み出したのが255psの新開発の3L、V6ターボ(VG30DET型)で、240psのトヨタソアラ(2代目)を凌駕して当時日本車で最高のパワーを売りとしていた。そのエンジンフィールは、クルマ雑誌『ベストカー』の1988年3月10日号で、「パワー、スムーズさとも世界一級品」と辛口でならした自動車評論家の徳大寺有恒氏も絶賛していた。

新開発の3L、V6ターボは255ps出パワーウォーズの口火を切った

実際に『ベストカー』のテストでは、ゼロヨン加速は15秒18、最高速は227.2km/hをマーク。当時日産車で最速だったスカイラインGTS-Rがゼロヨン15秒03、最高速228.65km/hだったことからも、そのポテンシャルがわかるはず。なお、当時の日本車最速に君臨していたソアラ3Lターボは、ゼロヨン14秒91、最高速241km/hだった。

初代シーマは見た目はエレガントだが、ホットロッド(加速を競うカスタムカー)のようにお尻を下げて加速する様は、高級車らしくなくて少々下品だった。まぁ、よく言えば豪快で、そのギャップもシーマで最大のライバルのクラウンにはない魅力となっていた。

『ベストカー』の1988年3月26日号のページの切り抜き。車重1600kgオーバーの重量級セダンで227.2km/hの最高速は圧巻

お金持ち中高年を魅了しシーマ現象勃発

初代シーマはターボ、ノンターボのノーマルエンジンの2種類を設定し、デビュー時のグレードは、下からタイプI(433万円)、タイプII(478万円)、タイプII-S(500万円)、タイプIIリミテッド(510万円)。433万~510万円という価格帯は、現在なら1500万円前後という感覚だろうか。それほど高額だった。

しかもシーマがデビューした1988年は自家用のクルマは贅沢品とみなされて物品税がかかっていた。乗用車の物品税率は軽乗用車が15.5%、5ナンバー小型乗用車が18.5%、3ナンバー普通乗用車が23.0%!! ということで初代シーマの最上級モデルのタイプIIリミテッドを購入する場合、車両価格の510万円に物品税117万3000円、自動車取得税(車両価格×0.9の5%)22万9500円を加えて合計650万2500円!! 

その超高額車がデビューと同時に爆発的にヒットして日本で社会現象となった。これにより『シーマ現象』と呼ばれる狂騒となったのだ。この『シーマ現象』という言葉は、1998年の流行語大賞にも選ばれた。

シンプルなデザインのリアコンビランプはデビュー時には賛否あったが、飽きがこない時間的耐久性のあるデザインだった

超高額の最上級モデルが飛ぶように売れた

初代シーマの異常なまでの人気を物語るエピソードとしては、デビュー当初の販売比率が、510万円のトップグレードのタイプIIリミテッドが85%で、その後も大きくは変わらなかったという点。当時は景気がよかったこともあり、新車を購入する時は「一番高いの持ってこい!!」というのが当たり前だったにしても凄い話。シーマ人気にトヨタは当然焦りを感じたわけだが、その対策としてクラウンの値引きが大幅に拡大したというのも有名な話。

ステアリング竜王にスイッチ類を集積。ステアリングを斬ってもこの部分は動かなかったので最初は戸惑うが慣れれば使いやすかった

そのほか、ハイソカーブームしかり日本ではどんなシチュエーションにおいても無難な白いクルマが圧倒的に売れているなか、初代シーマはイメージカラーのグレイシュブルーメタリックが約60%で圧倒人気で、これを含めたダーク系が約80%、ホワイト系は20%以下とこれまでの日本車の常識を覆したのも新しさの象徴だった。

イメージカラーで爆発人気となったグレイッシュブルーメタリックのボディカラー

長く愛された初代シーマ

初代シーマはデビューした1988年に3万6000台を販売したのを皮切りに、1991年9月に2代目にチェンジするまでに約13万台を販売。これは月販平均で約2900台とモデルライフ中、常に愛されていたことを意味している。

この長く愛された理由としては、1989年4月から消費税が導入されたのを機に悪しき物品税が廃止されたことが大きい。クルマの消費税はなぜか3%の倍の6%となっていたが、23%から比べると格段に買い得感が増し販売は絶好調。そして3ナンバー車の自動車税の引き下げなども追い風となった。

メーターは当時流行っていたデジタルではなく敢えてアナログタイプを選択
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伊藤かずえさんの初代シーマの修復費は2000万円級!?...
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この記事のライター

市原 信幸
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