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「堀田は腹を切れ!」

堀田にとっては、アメリカとの通商条約提携は望むところでしたが、ハリスはあくまでもアメリカの利益を考えるアメリカ第一主義。日本国内も一枚岩ではなく、思うように交渉が進みません。

なかでも御三家・水戸の徳川斉昭が筋金入りの攘夷論者で、「堀田は腹を切れ!」と大反対する始末です。後の混乱を避けるためには、通商条約締結には御三家と相談し、異論がないかたちをとらなければと堀田は考えていました。

佐倉城址公園 Photo by Adobe Stock

孝明天皇の勅許を得ようと、京都へ

進退窮まった堀田は、孝明天皇の勅許を得ようと、京都の朝廷に出向きますが、孝明天皇をはじめ攘夷派公家の反対にあい、堀田は手ぶらで江戸に戻らざるをえませんでした。

そこで堀田は次の手を考えます。それは将軍後継問題です。彼は元来、紀州藩主徳川慶福派だったにもかかわらず、対立する徳川斉昭の息子・一橋慶喜を推すことにしたのです。堀田は斉昭に貸しを作る計画でした。しかしこれもうまくいかず、結局慶福が後継将軍となり、その慶福を推した井伊直弼が大老に就任します。

佐倉城址公園の佐倉城天守跡 Photo by Adobe Stock
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日米修好通商条約に調印、堀田は罷免...
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松平定知
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