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日米修好通商条約に調印、堀田は罷免

条約調印に向け、ハリスの突き上げが厳しくなるなか、井伊は勅許を得ずに日米修好通商条約に調印してしまいました。はからずも堀田の開国論が受け入れられることになったのです。しかしその翌日、堀田は罷免されてしまいます。無勅許で調印をした責任を取らされたかたちでした。

その後、井伊大老を中心とした南紀派の一橋派への排斥は続き、安政の大獄につながっていきます。

現在、日本を開国に導いたのは井伊直弼と思われていますが、堀田正睦にも開国には思いがあったのでした。グローバルという言葉がすっかり定着しましたが、約150年前の日本に、自分の頭で世界と日本を考えることができた宰相がいたことを、みなさんには知っていてほしいと思います。それは、現在の千葉県佐倉市の殿様であったことも。

鹿島川と印旛沼(千葉県佐倉市) Photo by Adobe Stock

【佐倉城】(別名・鹿島城)
戦国時代中期と地元の豪族千葉氏の一族、鹿島幹胤(かしまもとたね)が築いた城郭を基礎とし、慶長15(1610)年、佐倉に封じられた土井利勝が5年の歳月をかけて整備、完成させた。石垣を一切用いず、干拓前の印旛沼を外堀としたのが特徴。三重櫓を天守の代用としたが、火災で焼失。明治の廃城令でほとんどが破却された。現在は佐倉城址公園として整備され、日本百名城に指定されている。佐倉城址公園管理センターに往事を偲ばせる模型がある。
住所:千葉県佐倉市城内町
電話:043-484-0679(佐倉城址公園管理センター)

佐倉城址公園の本丸跡・天守閣跡(天守跡) Photo by Adobe Stock

【堀田正睦】
ほった・まさよし。1810~1864年。佐倉藩11万石の第5代藩主。阿部正弘の後を継いで、老中首座となり、「黒船」以来弱体化する幕府の舵を取った。安政5(1858)年タウンゼント・ハリスとの間に日米修好通商条約を交渉し、開国を加速させるも、攘夷派の孝明天皇や公家たちの反対で勅許(ちょっきょ=天皇の許し)が得られず、大老となった井伊直弼が勅許のないまま調印。正睦は無勅許の責任を問われ罷免された。藩主としては蘭学を奨励するなど開明的な改革を行っている。

千葉県佐倉市の武家屋敷通り沿いの「侍の杜」 Photo by Adobe Stock

松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。

松平定知さん

※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載

※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」

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松平定知
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