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フェラーリとは違うデザインで勝負

NSXは全長4430×全幅1810×全高1170mm。それまでの日本車にはなかったワイド&ローフォルムのいわゆるスーパーカールックで登場。NSXのデザインはフェラーリの後追いをするのではなく、ホンダの独自路線でスーパースポーツを具現化したのはホンダらしさだろう。

ウェストラインより上をブラックアウトすることで航空機のキャノピー風に仕上げ、エンジンもガラスで覆うなど斬新な手法を取り入れた。スーパーカーに必須の開閉するリトラクタブルヘッドライト、低いノーズ、せり上がったウェストライン、伸びやかなリアなど、明らかにほかの日本車とは一線を画すスペシャル感にあふれていた。

ウェストラインより上部をブラックアウトしたNSXは当時斬新だった

NSXは高性能を追求すると同時に普段の街乗りもこなせる実用性が必須としたため、ゴルフバッグが楽々と収納できるトランクスペースが与えられている。スーパースポーツとしては異例なほどリアのオーバーハングが長いのはそのためだ。まぁこれについては、その実用性の高さを称賛する一方で、リアのオーバーハングが長くてカッコ悪い、スーパースポーツとして中途半端といった否定的な意見もあった。

誰もがNSXの高性能をイージーに楽しめるようにという理由から、5速MTだけではなく、4速ATを設定したのも、ほかのスーパースポーツにはない要素だ。

リアのオーバーハング(後輪より部分)が長いのはトランクスペースの確保のため

珠玉の3L、V6エンジン

当時のスーパースポーツはフェラーリ、ランボルギーニ、コルベットしかり、エンジンは最低でもV8というのが鉄則だったが、ホンダはNSXにV6を与えた。

レジェンドの3LのV6DOHCをベースにホンダお得意のVTECを組み合わせ、他のメーカーがターボで過給して当時自主規制の上限の280psをマークしていたのに対し、ホンダはNAで実現。しかもそのエンジンフィールは極上で、V8云々と言っていた輩をも黙らせた。ただ、ホンダがNSXを登場させるにあたり、V8またはV10エンジンを新開発していたら世界が変わっていただろう、と考える人は多いはずだ。

3L、V6DOHC+VTECは珠玉のユニットで、V8をも凌駕する回転フィールだった

NSXはブツけると全損!?

スーパースポーツのNSXの最大のセールスポイントは、量産の市販車として世界初採用したオールアルミモノコック。デビュー当時は、アルミは修復できないから、「NSXはブツけると全損」という情報が流れるなどある意味都市伝説となっていたが、これはまったくのデマ。ただ、アルミフレームの修復費用は激高だった。

ホンダは1993年にNSXのリフレッシュプランを開始。「ホンダのスポーツカーとして販売したからには、その性能を維持できなくてはならない」というポリシーの元、パワートレーン、足回り、内装、外装などを新車の状態に戻すプログラムが用意されていた。

オールアルミモノコックと合わせ、その後に登場した世界のスーパースポーツに大きな影響を与えたのは間違いないだろう。

オールアルミモノコックの採用は世界のスポーツカーに影響を与えた

ホンダファンを熱狂させない理由がない

NSXはホンダ初のスーパースポーツ、卓越したハンドリング性能、珠玉のパワーユニット……、ホンダファンならずクルマ好きを熱狂させる理由には枚挙にいとまがない。

さらに当時のホンダはマクラーレンと組んでF1界を席巻し、ホンダエンジンは最強の名を謳歌していた。その主役だったアイルトン・セナ、中嶋悟の両F1ドライバ―がNSXの開発に携わったと言われていた。程度はどうであれ、ファンとしてはこれはもう感激モノ。

ホンダの創業者の本田宗一郎氏(写真中央)とアイルトン・セナ(写真右)

それからNSXは創業者の本田宗一郎氏(1906~1991年)が存命中に登場した最初で最後のスーパースポーツという点もファンにとっては感涙モノ以外何物でもない。エンツォ・フェラーリが最後に携わったということで数あるフェラーリの名車のなかでもF40が特別視されるのと同じだ。

そう、NSXにはホンダファンを熱狂させない理由がないのだ。

NSXはデビュー時に最長8年待ち

NSXのデビュー時の価格は、5MTモデルが800万3000円、4ATモデルが860万3000円。今でこそ1000万円クラスの日本車は増えているが、同時代の日産スカイラインGT-R(R32型)が445万円からだったことを考えると、その別格ぶりがわかるはず。その超高額のNSXがデビュー後に狂乱状態になったのは今でもよく覚えている。

リアコンビはホンダのHをモチーフとしていると言われていた。今見てもすっきりとした優れたデザインだ

NSXの初期受注は正式発表前にすでに1~2年待ちと言われていたが、正式発表後はさらに凄いことになってしまった。一例を挙げると、ベルノ道央(北海道)は5年待ち、東北地方ではベルノ仙台が6~7年待ち、ベルノ郡山(東北)が6年半待ち、ベルノ福島が3年半待ち、東京ではベルノ東京西が8年待ち、大阪のベルノ店でも軒並み5~6年待ちという異常事態だったのだ。これはデビュー当時の『ベストカー』で、私も直接ディーラーに電話して納期を調べたのでウソ偽りのない話だ。

あの手この手で手に入れようと必死

ホンダベルノ店の人から聞いた話は、嘘と思うくらいオモシロいものばかり。

「100万円高く買うから早く納車して」という人などかわいいもので、フェラーリテスタロッサ(当時のフェラーリのフラッグシップ)で乗り付けて、「1500万円で売ってくれ」という人も現われたという。

大人だけでなく子どもたちにもNSXは大人気。これは1990年のベストカーでの撮影中のひとコマで、修学旅行の高校生が記念撮影

さらに、どこぞの社長は、「自分の会社の営業車を全部(10台以上)ホンダ車にするから一番納車をお願い」、「個人的にお小遣い上げるから早く回して」、「待つのが嫌でキャンセルが出たらその権利を200万~300万円で売ってくれ!!」などなど。

80歳近いおじいさんが、「私生きているうちになんとか納車をお願い」、「癌にかかっているから生きているうちにNSX乗りたい」など、情に訴える人まで続出した。

NSXを早く納車したいがために、ファンも必死だった。

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フェラーリ348がNSXに惜敗して涙...
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この記事のライター

市原 信幸
市原 信幸

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