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その興亡と命名のミステリー!

シベリア。その誕生は明治後期の日本のパン屋さん。大正から昭和初期には大流行したという。なのに今では、なかなか見かけなくなった。

「シベリア、結構うまかったぞ」一度は食べたことのあるみなさまなら、そういう記憶もあるでしょうに、一体なぜ?

焼いたカステラの枠に、ちょうどいい粘度に練り上げた羊羹生地を流し込み、さらにカステラを重ねるという、手間のかかる作り方もあるだろう。

「枠に流し込んで作るので、枠ひとつでも多くのシベリアができあがる。小さな店では全部売り切るのが大変」というコテイベーカリーのご主人・馬中俊夫さんの話には「なるほど!」である。

しかし、シベリア最大の謎はそこではない。シベリアの最大の謎。それは、なぜ“シベリア”という名前なのか?だ。

よく聞く「カステラを貫く羊羹が、ユーラシア大陸を横断するシベリア鉄道のよう」という説。スケールの大きな説だが、茫洋としすぎてないか。

「カステラと羊羹の層が、シベリアの永久凍土に似てるから」という説もある。確かに永久凍土の写真を見ると、地表の活動層と、その下の白い永久凍土のコントラストは、シベリアに似ている。

だが、「シベリア」が誕生した明治後期は、ネットもカラー写真もない時代。シベリアの永久凍土を見た日本人が、当時の日本にいただろうか?

そんな時。川崎市のサイトに「日露戦争時、乃木将軍がシベリアの戦場へ出征する際に、上野・永藤パン(現在は閉店)の職人が考案し、甘党の将軍に持たせた」という内容の固有名詞まで登場する説を発見。これは間違いなしか。

しかし、乃木将軍、日露戦争でシベリア行ってないぞ!行ったのは、清のロシア租借地・旅順と奉天だ。初めて日本がシベリアに出兵した「シベリア出兵」は、シベリアが誕生した明治後期よりもかなり後の大正7年だし……。

ここで再度、シベリア鉄道説浮上。シベリア鉄道がウラジオストックまで鉄道で全開通したのが明治37年。日露戦争が終わったのが翌38年。シベリアが誕生した明治後期の日本は、シベリア鉄道に欧州へと続く甘い夢を見ていたのでは……。そんな想いが募った命名な気もしてきた。

さて、「コテイベーカリー」の馬中さんの説は?「自分の好きな説を思いながら食べるのが一番」

そりゃそうだ!それが一番甘くておいしい説。さすが「シベリア」の達人のお言葉。眼からウロコでした。いや~「シベリア」って本当にいいもんですね。

最後に蛇足ですが、「シベリア」は牛乳に合うというのが、シベリア好きの定説。しかし、左党の皆様にシベリアに驚くほど合うお酒の存在をお伝えしたい。「ホワイトルシアン」だ。

ウォッカ3にコーヒーリキュール1を氷の入ったグラスでステア。生クリーム1をフロートさせたこのカクテル、名前もシベリア的だが本当に「シベリア」と最強ペアなり。

撮影/浅沼ノア、取材/カーツさとう

2024年6月号

※2024年6月号発売時点の情報です。

※写真や情報は当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。必ず事前にご確認の上ご利用ください。

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おとなの週末Web編集部
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