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早朝のテレビ収録の前夜、面白本にはまってしまい……

さて、かように目覚めのよろしい私であるが、実は先日、とり返しようのない失態を演じてしまった。

このところどういうわけかテレビ出演がひんぱんに続き、私はその日も翌朝の生番組に備えて、新宿のホテルに投宿していた。

明日は早いからそろそろ寝るべえと思いつつ、『高松宮日記』にハマった。老舗(しにせ)版元「京橋屋」から贈られた、オビに曰(いわ)く「国宝級資料」である。

私は小説にハマることはないが、マニアックな資料にはしばしばハマる。実のところまだ開帳してはおらぬが、「軍事史」は私の中のけっこう大きなヒキダシなのである。フムフム、ナルホド、と読み進むうち、つい夜が明けた。

不覚にも朝7時、ハイヤーの到着を知らせる電話に起こされた。いくら何でも6時に寝て7時出発は無理があった。しかも本を持ったままスッと眠ってしまい、枕さんにお願いをすることも忘れていた。

第一、生番組は7時30分から始まるというのに、出演者を7時に迎えにくること自体あまりにも話に余裕がない。その瞬間から私は、活字社会の常識では全く考えられないテレビ局の時間割に組みこまれたのであった。

上には上があるものだと思った。いかに私が寝起きのよい人間であるとはいえ、テレビ局のデジタル・モードについていくことは困難であった。

7時にホテルを出発。7時15分に局入り。まるでミコシに担(かつ)がれるようにワッセワッセとスタジオに押しこまれ、何と7時30分には本番オン・エアである。

かくて顔も洗わぬ寝起きの私は、ボーッとした昼アンドンのまんま、全国ネットワークを通じて紹介されちまったのであった。

もともとシャイなのである。照れながら何でもやってしまうという特性もあるが、人前に出ることは余り好きではない。

文章が書けるのだから言葉も同じようにしゃべれるのであろうと考えるのはまちがいで、作家は総じて口下手である。しかも私の場合、つい30分前までホテルのベッドで眠りこけており、つい1時間ちょっと前まで、夜っぴいて『高松宮日記』にハマっていたのであった。

そんな私に対して矢継早に浴びせかけられる質問は、まさに活字人間には答えることのできぬテレビモードのそれであった。

「江川紹子さんがお好きなそうですね」
「えっ…(しばし絶句)は、はい…いえ、その…(スタジオ内爆笑)…あの…」
「かつてあぶない業界に身を置かれていたとか」
「ええっ!…それは、べつに…(再び絶句。スタジオ内騒然)…」

ほとんど刑事と容疑者の対話であったと思う。コメンテイターの竹村健一さんの助け舟がなければ、私はおそらくその場で泣き伏したか、走って逃げ出したであろう。

あの放送を見てしまった読者の皆様に念のため。実物はずっとマシであると承知されたし。

さて、これより国営放送の収録に向かう。本日は寝が足りておるぞ。

(初出/週刊現代1996年9月28日)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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おとなの週末Web編集部 今井
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