宮内庁が治定する陵墓(りょうぼ)は、北は山形県から南は鹿児島県までの1都2府30県に897か所が存在する。そのうち天皇の陵(みささぎ)は、124を数える。天皇陵には「陵印(りょういん)」といって、神社仏閣における朱印のようではあるが、似て非なるものが用意されている。歴代天皇の御陵をお参りしながら陵印を集め、その御代(みよ)に思いを馳せてみてはいかがだろうか。
画像ギャラリー宮内庁が治定(じじょう、陵墓の被葬者を特定すること)する陵墓(りょうぼ)は、北は山形県から南は鹿児島県までの1都2府30県に897か所が存在する。そのうち天皇の陵(みささぎ)は、124を数える。天皇陵には「陵印(りょういん)」といって、神社仏閣における朱印のようではあるが、似て非なるものが用意されている。歴代天皇の御陵をお参りしながら陵印を集め、その御代(みよ)に思いを馳せてみてはいかがだろうか。
陵墓とは
皇室のお墓「墳墓(ふんぼ)」を総称して陵墓という。この陵(みささぎ)とは、天皇、皇后、大皇太后、皇太后を葬るところ、墓(はか)とは、その他の皇族を葬るところ、と皇室典範で規程されている。陵墓のなかには種類があり、「陵」188か所、「墓」553か所、「分骨所・火葬塚・灰塚などの陵に準ずるもの」42か所、身体の一部などを埋納する「髪歯爪塔(はっしそうとう)」68か所や、「陵墓参考地」といって被葬者が特定できないものの陵墓である可能性が高い墓46か所も存在する。これらの合計が、897か所というわけだ。
陵印はどこに行けば押せる?
天皇陵は124か所もあるが、陵印も同じ数だけ存在する。しかし、それぞれの御陵に備え付けられているわけではない。全国にある陵墓を5つのエリアに区分し、そこに「監区」という宮内庁書陵部の出先機関としての事務所が設置されている。そこへ出向けば「陵印」をみずから押すことができる。たとえば、昭和天皇の眠る「武蔵陵墓地(むさしりょうぼち)」に併設される多摩陵墓監区(たまりょうぼかんく)であれば、大正天皇の多摩陵(たまのみささぎ)、昭和天皇の武蔵野陵(むさしののみささぎ)と、両方の陵印を押すことができる。
監区は、このほかに、桃山(ももやま/京都市伏見区)、月輪(つきのわ/京都市東山区)、畝傍(うねび/奈良県橿原市)、古市(ふるいち/大阪府羽曳野市)と4か所あり、すべて関西地区に事務所を構えている。詳しくは、宮内庁の天皇陵ホームページの問い合わせ(https://www.kunaicho.go.jp/ryobo/inquiry.html)に監区事務所の所在地や連絡先が掲載されているので、参考にしてほしい。
神武天皇陵
第1代の天皇である神武天皇の畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)は、大和三山の一つ「畝傍山」の北東麓にあり、住所は奈良県橿原市(かしはらし)大久保町にある。南に面する円丘で、方形の濠(ほり)がめぐらされており、陵前の第一鳥居には黒木が用いられている。
写真に見る神武天皇陵は開門されているが、これは特別な儀式の際に撮影したもので、残念ながら普段の門は閉ざされており、陵の中に立ち入ることはできない。これは、どの天皇陵も同じである。また、御陵内で行われる宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)=神事は、政教分離の原則から天皇家の私的使用人である掌典職(しょうてんしょく)が務めている。
畝傍山の周辺には、神武天皇陵のほかにも第2代の綏靖(すいぜい)天皇陵、第3代の安寧(あんねい)天皇陵、第4代の懿徳(いとく)天皇陵が、所在している。
上皇ご夫妻のご参拝
2016(平成28)年には、神武天皇の二千六百年式年祭(亡くなられてから2600年)に際し、上皇ご夫妻(当時は天皇、皇后両陛下)が参拝に訪れている。この時は、秋篠宮ご夫妻も供奉(ぐぶ=お付きの者)として両陛下とともに参拝された。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。