貞明皇后の大葬でも使用
大正天皇の大葬(葬儀)後は、昭和天皇や香淳皇后、そして当時の皇太后であられた貞明皇后が墓参の際、年に数回使用するだけとなっていた。先の大戦中の空襲被害もなく、戦後を迎え、1951(昭和26)年5月に貞明皇后が亡くなられると再び、霊柩列車を迎えることになった。しかしながら、貞明皇后の葬儀後は一度も使用されることなく、1960(昭和35)年9月10日に廃止された。
廃止後、駅舎建物は1962(昭和37)年に八王子市へ譲渡され、1964(昭和39)年の東京オリンピックでは自転車競技の事務所として使用された。今でも駅舎跡地には、「オリンピック東京大会 自転車競技この地で行なわる(原文ママ)」と記された石碑が残されている。その後は、八王子市の集会施設「陵南会館」へと転用された。
テロの標的に
時代が昭和から平成にかわったころ、平成の即位の礼(1990(平成2)年11月)に反対する過激派により、すでに陵南会館となっていた旧東浅川宮廷駅もテロの標的となった。仕掛けられた爆弾装置によって、同年10月9日に旧駅舎は焼失した。その後は、解体され更地となっていたが、現在は東浅川保健福祉センターの第二駐車場として活用されている。
近い将来、JR高尾駅は橋上駅として生まれ変わる予定で、北口にある“社寺風の駅舎”がこの東浅川宮廷駅跡地に移築保存される計画になっている。この社寺風の駅舎は、かつて大正天皇の大葬の礼(ご葬儀)の際に、新宿御苑(東京都新宿区)に建設された葬場殿(葬儀場)に隣接して設けられた「新宿御苑仮駅」の駅舎を移築した由緒ある建物だ。この当時の仮駅から出発した霊柩列車の目的地が「東浅川宮廷駅」という、なんとも運命的な話へとつながるのであった。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。